一宮市恵林寺のブログ

愛知県一宮市恵林寺と関口道潤に関する坐禪会の提唱その他を紹介します。



 富那夜奢

第十一章
 第十一祖。富那夜奢尊者が合掌して脇尊者の前に立った。脇尊者が質問した、「君はどこからきたのかね」。富那夜奢は答えた、「私の心はどこにも留まっていないので、どこから来たということはありません」。脇尊者がまた質問した、「君は留まる場所がないというが、それでは今どこにいるのかね」。富那夜奢が答えた。「私に留まる場所はどこにもありません」と。脇尊者がさらに質問します。「そうすると君は居場所を持たない人間なのか」。富那夜奢が答えます。「居場所がないのは仏様だって同じです」と。脇尊者がさらに質問します。「そもそも君は仏さまでないではないか、いや仏さまでさえそれでよいということはない」。富那夜奢はこの言葉を聞いて、二十一日間修行を続け、自分をどうにかしようという心を離れた。脇尊者に告げた、「仏さまでもダメなら、あなたでさえ頼りにならないのでは」と。脇尊者はこの青年が仏の道を確実に歩むことを知り、正法の後継者と定めた。 (本則現代語訳)

 第十一祖。富那夜奢尊者。合掌して脇尊者の前に立つ。尊者問て曰く、汝何れより来るや。師曰く、我が心は往するに非ず。尊者曰く、汝何れの処にか住せる。師曰く、我が心止まるに非ず。尊者曰く、汝不定なるや。師曰く、諸佛も亦然なり。尊者曰く、汝は諸佛に非ず、諸佛亦非なり。師此の言を聞き、三七日を経て修行し、無生法忍を得たり。尊者に告げて曰く、諸佛も亦非なり。尊者も非なり。尊者聴許して正法を付せり。

 富那夜奢尊者はパータリプトラの人。姓はゴータマ、父は宝身。脇尊者が初てパータリプトラに至り一樹の下で一休みし、右手で地を指して、弟子たちに告げて曰った。この土地が金色に変るなら、いずれ聖人が現れて修行仲間に入るはずた。言い終わると忽ち地面が金色に変った。その時に長者の子富那夜奢があり、合掌し立て云った。・・・尊者はそこで詩偈を説て曰った。「この地金色に変ず、預め聖の至るを知る。当に菩提樹に坐して覚華而も成じ已るべし」と。夜奢もまた偈を説いて曰った、「師、金色の地に坐し、常に真実義を説く。光を回らし我を照らして、三摩諦に入らしむ」と。尊者は富那夜奢の覚悟を知り、直ちに出家受戒させた。

 師は華氏国の人なり。姓は瞿曇氏、父は宝身。脇尊者初て華氏国に至り一樹の下に憩ひ、右手にて地を指し、衆に告げて曰く、此の地、金色に変ずれば、当に聖人有って会に入るべし。言ひ訖て即ち地金色に変ず。時に長者子富那夜奢あり、合掌し立て云々。・・・・尊者因みに偈を説て曰く、此地金色に変ず、預め聖の至るを知る。当に菩提樹に坐して覚華而も成じ已るべし。夜奢復た偈を説いて曰く、師、金色の地に坐し、常に真実義を説く。光を回らし我を照らして、三摩諦に入らしむ。尊者、師の意を知り。即ち度して出家し、戒法を具せしむ。(機縁)

 補注―富那夜奢尊者(西暦100頃~180頃) 梵名はプンナヤッシャ Puṇyayaśas この時代は中インドのパータリプトラ=華氏城(現インドビハール州バトナ)に都をおいたアショーカ王のマウリア王朝は衰退し、代わって北インドプルシャプラ(現パキスタン・ペシャワール)に都したクシャーン王朝のカニシュカ王が勢力を伸ばした時代、舞台はパータリプトラである。三摩諦 Samāadhi 三昧、定、等持などとも言い、心を一つに集中する事。
 以下太祖様の提唱は言葉としては非常に明快です。「自分はどこかに立地するのでもなく、どこにも捉われないものでもない。それは多くの仏さまと同じ世界を生きること・・・いわゆる無住所涅槃の世界を生きること」だと教えます。しかしよく考えてみれば、そんなことを理屈で説いても仕方ない、実際に修行生活の中で少しずつ体得してゆく=覚触する以外に道はないことを強調されます。それが以下の提唱です。


 ここに引用した師匠と弟子の出逢いの内容によれば、夜奢尊者は初めから聖者だった。それは我が心は往くに非ず、留まるに非ざれども実はそれが諸佛の在り方と変わりないと説いた。この見立ては間違いではないが、どっちつかず優柔不断ではならない。なぜならば、「なんの努力も不必要で、必ず仏さまが救ってくれる」といって平素の修行を怠ったのでは、修行の世界に近づくことはない。昔から「耕夫の牛を取り上げ、飢人の食
を奪う」というが、他人の事はとやかく言っても自分の命は、なかなかそこまで追い詰められない。まして自己の命の中に仏を見る事ができない。だから「君は仏さまではない」と指摘した。仏というものを自分とは別なものだと考える事そのものが間違いだ。そこをしっくりさせるために、三週間もの修習行道を続けた。ある時「そうかこういうことか」と気が付いた。それは自己の生き方以外に仏はあり得ないという事であった。また仏からも解放される事だった。これを古来、「無生法忍を悟る」と言っている。
 それが納得できて、仏の命は裏表、内外という区別が存しない事を確信し、「仏は仏、師匠は師匠・・・自分は自分でしかないと言っている。仏道の世界は理屈ではなく、心の持ち方でもない。むしろそれはすべてが仏の生命の現れと言えるが、そのように表現すること自体が不徹底だ。だから空寂だとか至高の道理などと名付けてもいけない。仏道修行者が最も慎むべきは、確かに修行生活の中にいわゆる「自覚=覚り」がないわけではないが、たった一度だけの覚りの体験が格別なものでないと心得るべきだ。昨日覚っても、今日は新たな迷いとなっている事を慎まなければならない。この師匠と弟子との出会いによって、私たちはある時は聖人として大地を輝かせ、麗しい徳風が吹いて世間をあっと言わせる事があるのは事実としても、確かなのは、それだからこそ日々の修行生活を覚りの行としなくてはならない。仏の行とは、愚かな自分の凡夫根性を離れ、仏の命にお任せする事だ。今朝君たちにこの先輩の話をしたのを要約し、拙い詩文を示したい。聞いてくれるかな。(提唱現代語訳)

 適来の因縁。夜奢尊者は、元来是れ聖者なり。これによりて我が心往するに非ず、我が心止まるに非ず、諸佛亦た然りと説く。然も猶を是れ両箇の見也。所以者何となれば。我が心も如是、諸佛も如是と会す。是によりて尊者耕夫之牛を駆り、飢人の食を奪ふ。真実得達の人も猶を是れ自救不了也。なに況や諸佛を存することあらんや。是によりて汝非諸佛と説く。これ理性を以てしるべきにあらず。非相を以て弁ずべきにあらず。故に諸佛の智を以て知るべきにあらず。自己の識を以てはかるべきにあらず。故に此の言を聞てより。三七日の間だ修習行道して、さしおくことなし。遂に一日覚觸して、まさに我心を忘し、諸佛を解脱す。これを無生法忍を悟るといふ。遂にこの理に通じて、辺表なく内外なきにより、その得処を説くに曰く、諸佛亦尊者にあらずと。実にこれ祖師の道は、理をもて通ずべきにあらず。心をもて弁ずべきにあらず。故に法身法性萬法一心をもて究竟とするにあらず。故に不変とも説くべからず、清浄とも会すべからず。なに況んや、空寂なりと会せんや。至理なりと弁ぜんや。故に諸家の聖者、悉くこの処にいたりて初心を回し、再び心地を開明して、直に入路を通じ、速かに己見を破す。今の因縁をもて知るべし。已に是れ聖者たるによりて、来る時地すなはち変じ、徳風ものをおどろかすちからあり。然れどもなほ三七日の間だ修習して、この所に達す。故に諸人者子細に明弁して、わづかに小徳小智己見旧情をもて宗旨を定ることなかれ。大にすべからく子細にしてはぢめてうべし。今朝又此の因縁を会せんとするに、忝く卑語をもてす。大衆聞かんと要す麼や。(提唱)

 語註―「驅耕夫之牛。奪飢人之食」は『碧巌録』の言葉、「一番大切な最後のものをも奪い取る。師家の激しい手段」を言う。無生法忍は一切のものは不生不滅であることを認めること。「忍」とは認可,認知のこと。一切の衆生を空であるとみて邪見に落ちないのを生忍 (衆生忍) といい,一切は空であり,実相であるという真理のうえに心を安んじ不動であるのを法忍という。
  自分の拙い理解力が、多くの仏さまと同じであるはずがない。
  しかしその愚かで拙い自分以外の自分が
  どこか遠くの場所にあると妄想してはならない。
  結局どっちへ転んでも皆仏さまの腕の中の出来事なのだ。
       我が心、佛に非ず亦、汝に非ず 来往、從來此の中に在り

                 我心非佛亦非汝 来往在從來此中(頌古現代語訳)

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第十二章
 第十二祖。馬鳴尊者が夜奢尊者に質問した。私は仏とは何かを知りたい。それはいったい何なのですか。夜奢尊者が答えた。もし君が仏とは何かを知りたいのなら、アタマで理解しようとしないことだ。馬鳴が言った。仏は何かと知らないならば、どうしてそれが正しいと決められますか。夜奢尊者が答えた。君は元々仏を知らないのだから、どうしてそれが正しくないと決められるか。馬鳴が言った。これはノコギリに例えての話ですか。夜奢が言った。これは木にも例えられる。それでは更に質問しよう。そもそもノコギリとは何を例えたのか。馬鳴が答えた。これでは師匠様と同じ世界を生きていることになります。そこでさらに質問します。その木とは何ですか。夜奢尊者が答えた。君は私に心を読まれてしまったな。この言葉を聞いて馬鳴は「何だそういうことか」と気が付いた。

  第十二祖。馬鳴尊者、夜奢尊者に問て曰く、我れ佛を識らんとす、何物か即ち是なる。尊者曰く、佛を識らんと欲せば、識らざる者是れなり。師曰く、佛既に識らす、焉ぞ是れを知らんや。尊者曰く、既に佛を識らざれば、焉んぞ不是なるを知るらんや。師曰く、此れは是れ鋸の義なり。尊者曰く、彼れは是れ木の義なり。復問ふ、鋸の義とは何んぞや。師曰く、師と平出せり。又問ふ、木の義とは何んぞや。尊者曰く、汝、我に解せらる。師豁然として省悟す。(本則現代語訳)

 註記―馬鳴(めみょう120頃~200頃)者、梵名はアシュヴァゴーシャ、Aśvaghoṣ 馬鳴菩薩と呼ばれ、大乗仏教の菩薩、養蚕の守護神と崇められる。伝は『付法蔵因縁伝』に詳しい。また後秦の鳩摩羅什三蔵が翻訳したとされる『馬鳴菩薩伝』に多く述べられる。仏陀の生涯を流麗な詩文で述べた『佛所行讃』=ブッダチャリタの作者であり、中インド華氏城(パータリプトラ)において、天賦の詩才をもって民衆を教化し、仏陀の弟子であるラッタパーラ(梵名 Rāṣṭrapāla、頼吒和羅〈らたわら〉)をモデルとした戯曲を作り演じたところ、多くの市民を教化し、皆それを聞いて無常を悟り、500人の王子や民衆が出家したので、王はついにこの戯曲を禁止したといわれる。ほかに『大荘厳論経』、『金剛針論』、『犍稚梵讃』なども彼の著作とされるが、その真偽については古来議論が続いている。有名な『大乗起信論』も馬鳴菩薩作とされるが、その思想内容が、馬鳴菩薩の時代より百年ほど後のものと考えられ、これは同名の別人とされている。クシャーン朝のカニシュカ王が華氏城を攻めた折、戦利品として、現地に伝わる佛鉢と馬鳴菩薩をガンダーラに連れ去ったという。馬鳴菩薩は以後ガンダーラで活躍する。その説法の感化力が著しいだけでなく、人はもとより、馬もその説法を聞いて、法悦の嘶きをしたので馬鳴といわれる。宗門では阿那菩底と呼ばれるが、古い呼称は馬鳴尊者が正しい。出身地をバラナシ―とする説は中国の『宝林伝』が最初。以後の伝記は大半これに従っている。この章は『正法眼蔵仏性』を参照のこと。馬鳴の梵名はアシュヴァゴーシャであるが、音訳なら「阿湿縛窶沙」(玄奘『大唐西域記』参照)。馬鳴には、鳩摩羅什による『馬鳴菩薩伝』などが存在し、婆羅門階級の出身で、クシャーナ王朝のカニシカ王と親交があったことが知られる。高祖の『正法眼蔵仏祖』には十祖波栗湿縛大和尚~十一祖富那夜奢大和尚~十二祖馬鳴大和尚~十三祖迦毘摩羅大和尚~十四祖那伽閼刺樹那大和尚とあり、更に太祖も『伝光録』で、馬鳴を馬鳴としか書いてない。宗門僧侶は朝課の「祖堂諷経」の回向文中に、五十七仏を誦むが、ここには馬鳴がない。その部分は「阿那菩底」となっている。だからこれは日本の江戸時代頃何かの誤りで馬鳴大士を阿那菩底と入れ替えた可能性が高い。


 師はヴァーラナシーの人であり、功勝とも呼ばれている。見える処も見えない処もその功徳が最も優れているので、このように名けた。師が夜奢尊者に参じたその最初に質問した。「私は佛とは何かを理解したい。それはいったい何ですか」。尊者が言った、「君が仏を理解しようとするならば、理解しない処がそれなのだ」と。

 師は波羅奈国の人也、また功勝と名づく。有作・無作諸々の功徳最も殊勝となすを以て故に名けたり。即ち夜奢尊者に参ずる処、最初に問て曰く、我れ佛を識らんと欲す。何者か即ち是なるや。尊者曰く。汝、佛を識らんと欲すれば、識らざる者是れなりと。(機縁及び現代語訳)

 語註―ヴァーラーナシー(Varanasi、インドのウッタル・プラデーシュ州の都市。同県の県都。人口は約一二〇万人。ヴァルナ川とアッシー川に囲まれた扇状地。ヴァーラーナシーの北方約十㎞に位置するサールナートは、仏陀が悟りを開いた後、初めて教えを説いた初転法輪の故地とされる。鹿が多く住む林(旧訳「施鹿林」、新訳「鹿野苑」)の中で鹿野苑 梵 mṛgadāvaはリシパタナと呼ばれる。仏教の四大聖地の一。
     
 
この段のテーマ・・・・仏道修行者にとって、最も大切なことは仏とは何かという根本をはっきりさせなければならない。この段の太祖の拈提はかなり長い。以下がその拈提の現代語訳である。

 仏道を学ぶものは今も昔も、仏とは何かを学ばないものは、皆、外道の生き方である。説法が上手だとか、見た目が神々しいと、上辺で評価してはならない。だから三十二の特徴や八十種の相好で判断してはならない。そこで率直に「仏とは何か」と質問したのだ。その答えは「仏を知ろうとするならば、それを知らないでよい世界があると知るべきだ」と。その知らない世界とは他でもない正に馬鳴尊者その人である。分かった時も、分からない時も他に自己の人生はない。変わったこともない。だからこそ昔から現在に至るまで、これは他人が見れば、三十二相であり、八十種の相好として受け止め、三頭八臂の働きをし、絶望の人生に直面し、人間として扱われないことがあり、身動きが取れない事もある。これは人生を生きるための現実だが、自己本来の命を基本として生きるとは、出逢うところすべてが我が命なのだ。
 生きるも死ぬもそこに自分は何だと他人事をいう余地はない。自己のみ知る自己のみの世界なのだ。他人の評価を待たない世界なのだ。だからそれは世界の始まる以前から未来永劫にかけても人間の意識を超えている。こうしたものの道理を聞いて普通の人は、「もし知ってしまえば仏ではない。」と考え、「知ろうとしない、自他を二つに分けないのが仏だ。」と思うかもしれない。しかし「不識」をそのように捉えるのであれば何も富那夜奢がこの回答をする必要がないではないか。「暗いところから暗いところに移動する。「人間の思いの中の出来事」でない。だから尊者は人間の思いに渉らない処」と答えたのだ。しかし馬鳴はそれでも納得がゆかない。それは従来と同じように自分の思いで理解しようとするからなのだ。そこでさらに質問する。「仏は元々知ることのできないものだとすれば、一体だれがそうだと知るのか」と。尊者は重ねて教えた。「仏の世界は人間の思いを超えている。それなのに自分の思いで理解しようとしない事だけが大切だ」。馬鳴は言う、「この話はノコギリの働きを示すのですか」と。「いやこれは切られる木の方だよ」。
夜奢尊者は重ねて質問します。「君の言うノコギリとは何を指しているのか」。馬鳴は「これは師匠様と同じではないですか」と答え、さらに質問します。「切られる木の方だとは」どういう意味ですか。夜奢尊者は「君はついに私に本性を見られてしまったね」と。この時馬鳴は即座に納得した。君がそのままであるならば、私もまたそのままだ。八の字のように広く開いて両手で分け与えるが、君も私もなにも受け取らず、借り物もない。ノコギリがノコギリを切っているようなもので、これを仮にノコギリの働き」と呼んでみた。馬鳴は「それで私は結局切られる木ですか」。夜奢尊者は「そうだ切られる木の方だ」と。それはなぜかといえば、自分のアタマの及ばない世界は例えば真っ暗で何も見る事ができないし、知ることもできない。ここは足し前いらず、借り物無しだ。そこらに転がる丸太のようであり、本堂の柱のようだ。そこで「お前は何者か」と怒鳴ってみても仕方ない。それはただそうなのであり、自分の思いを差し挟む余地がない。このように理解したので彼は「私は切られる木ですか」と言った。それでも師匠の意図が分からず、幾分かの疑問が残ったので、夜奢尊者は思いやりを籠めてもう一度質問した。「ノコギリの働きとは何を指しているのかね」と。馬鳴は「師匠様と同じことを考えています」と答えた。この時馬鳴は気が付いた。「切られる木とは何ですか」と。夜奢尊者は答えた。「君は私に心を読まれてしまった」と。これによって師匠と弟子の心が一つになり、従来の心情が崩れ、あたかも夢の中の道を歩み、空を飛んでいるようだ。そこで夜奢尊者は言った。「君は私に心を読まれてしまった」と。このときはじめて本来無心であり、自縛するものは何もないと納得し、悟りの世界という逃げ場を通り抜け、「何だそんな事か」と気がついた。ここに法灯の第十二祖となった。
 夜奢尊者が弟子たちに語った。この馬鳴大士はむかしヴェーシャリー国の王であった。その国に一人の人間が馬の丸裸のようだったので、神通力を使って分身を蚕とした。そのために彼は衣服を得る事ができた。その後、この王は中インドに生まれ王となった。王の慈悲を感じた馬や人が共に、馬のなぎ声をしたので、周囲の人は馬鳴と名付けた。この事に就いて仏陀は「吾が滅度の後六百年、まさに賢者馬鳴なる者有るべし。波羅奈国において異道を摧伏し、広く人天を度し、度人無量。吾を継いで伝化すべし。いま正に是の時なり」と授記を与えている。これに従い夜奢尊者は馬鳴に正法眼蔵を付嘱した。
 この一連の物語を、「それは不識不受のところ」と決めつけ、「処処不識なるところ」と心得てはならない。なぜならば知らない処というのは、自分が気づいていないだけであり、謙虚に学び、あらゆる可能性を考えながら、仏とは何か、祖師とは何か」を捉えようとしても思い浮かべる事ができない。人間やその他種々な生き物の中にそれを求めても得られない。かといって、それが変わらない物、動く物と決まってもいない。それは以前、人間の思惑を超えていたとか、表と裏の話でもない。まして正面や側面の話でもない。実はそのこと自体が「自己本来の姿である」と気が付かねばならない。私たちの日暮しには凡人、聖人、思いを持つ物として去来し、自身とその住まう世界という区別があるが、しかしそのこと以外に何もなく、ここに生きここに死んでゆくだけなのだ。例えていうならば、海水が波を起こすようなものであり、幾ら激しく押し寄せても元の水は一滴も増える事がない。また波が収まっても一滴の減ることがないではないか。かつて人間であり天人であったときに仏様と呼ばれ、鬼畜にも劣るとされる事もあるが、それは一応の見かけだけの事、そこで仏さまになるのも、鬼畜となるのも決まっていない。それは悩む修行者に解決のヒントを与え、自身を鍛錬し、天地草木は皆、ひと時の現象であると知り、夢の中の仏道を行ずることになる。こうした事からインドの教化法としての幻術が現在でも伝わっており、中国、日本と絶えることなく、凡人を聖人に変えてきた。だから私たちはこのように入れ替わり、立ち代って修行を大切にし、自己の罪過を忘れず、人生の短さにも迷わされずに生きてゆかねばならない。これこそ本物の禅僧だ。今日またこの一段の物語を締め来るために、例によって拙い詩を紹介するが、聞いてくれるかな。(拈提の現代語訳 )
 
 実に参学の最初、必ず尋ぬべきは是れ仏なり。三世諸仏・数代の祖師、尽く是れ学仏の漢といふ。若し仏を学せざれば、悉くこれ外道の漢ととく。故に音声をもて求むべきにあらず、色相を以て求めしるべきにあらず。故に三十二相・八十種好をもて佛とするにたらず。因て我れ佛を識らんと欲す、何者か即ち是なると問い来る。即ち示して曰く、汝、佛を識らんと欲せば識らざる者是れなりと。いはゆる不識者といふは。まさにこれ馬鳴尊者也。豈に他ならんや。未知時もしれるときも別の保任なし。他の様子なし。故に昔しより今に及びて、只是の如し。有時は三十二相を帯し、八十種好を具し、三頭八臂を帯し、五衰八苦に沈み、有る時は被毛戴角し、有る時は鉄担架鎖す。常に三界中に居して、自己の行履を保任し、自心の中に頭出頭沒して、異面を帯び来る。故に生じきたるも是れ何者なりとしらず、死し去るも是れ何者なりとしらず。形をつけんとすれども、是れ造作すべき法にあらず。名を安ぜんとすれども、亦これ建立すべきことにあらず。故に劫より劫に至るまで、曽てしるところなく、我にしたがひ我に共なふとも、都て弁ずることなし。
 適来の因縁を聴いて、多く解して曰く。いかにもしることあるは、即ち是れ佛にたがはん、しることなく分つことなからん、正に是れ佛なるべしと云ふ。今の不識を恁麼に会せば、何ぞ煩はしく夜奢尊者恁麼に示さん。冥きより冥きに入る、只是のごとく都て恁麼ならざる故に。直に示して曰く、不識者是也と。馬鳴なほ明らめず。只是れ従来の不知といふをもて今の示す処を解す。故に曰く、佛既に識らず焉んぞ是れを知らんや乎。尊者重て示して曰く、既に佛を知らず、焉んぞ不是なることを知らんや。その外に求むべきにあらず。不知とは即ち是れ佛なり。豈不是と云べけんや。師く。此れは是れ鋸の義なりと。尊者曰く、彼れは是れ木の義なりと。夜奢復た問ふ、鋸義者何ぞや。師曰く、師と平出すと。馬鳴又問ふ、木の義とは何んぞ。尊者曰く、汝、我に解せらる。師豁然と省悟す。実に汝も如是我も如是。八字に打開し両手に分付す、汝も我も一点を受けず、吾も汝も少分をからず。これによりて平出せること恰も鋸の如し。故にいふ鋸義と。師解して曰く、吾れは是れ木義と。尊者曰く、彼れは是れ木義。所以者何なれば。黒漫漫として総て知る処なし。更に一点をも着けず、一知をも仮らず。恰も木頭の如く又露柱の如し。無心にして恁麼也。終に弁別する処なし。恁麼に会する、故に道ふ彼は是れ木の義と。然れ共恁麼の処解、余習なほ残て師義を知らず、此に尊者慈悲落草の故に。復た問ふ。鋸の義とは何ぞやと。師曰く、師と平出すと。此に至りて重て自ら道取して、又問ふ。木義とは何ぞや。夜奢復た授手分付して曰く、汝我に解せらると。爰に師資の道通じ。古今の情やぶれて。夢中に路をなし来り、空裏を運歩しもてゆく。故に曰く。汝我に解せらると。ここに到りて無心凝結すみやかにとけ、明白の窠窟もぬけ来て。豁然として開悟、遂に第十二祖に列す。
 尊者衆に謂て曰く、此の大士は者、むかし毘舍離国王たり。その国に一類の人あり、馬の裸露なるが如し。王、神力を運んで、分身を蠶と為し、彼れ乃て衣を得たり。彼の王のちに中印度に生まるに、馬人感恋して悲鳴す。因て馬鳴と号したり。如来記して云く、吾が滅度の後六百年、まさに賢者馬鳴なる者有るべし。波羅奈国において異道を摧伏し、広く人天を度し、度人無量。吾を継いで伝化すべしと。いま正に是の時なりと云ひて。夜奢即ち如来の正法眼蔵を付嘱す。此の一段始終のところ、みだりに不識不受のところとして、処処不識なるところとすることなかれ。即ち不識なりとも、未胞胎のところにして、子細に見得し、子細に思量して、佛面祖面を摸索すれどもえず。人面鬼畜を求覓すれどもえず。是れ不変なるにもあらず。是れ動著するにもあらず、曽て空なるにもあらず。内外の論なく、正偏のへだてなし。まさに是れ自己本来の面目なることを覚知して、たとひ凡聖含霊とあらはれ来り、依正二報とわかれ来れども、全くこの中に去來し、此の中に起滅す。あだかも海水のなみををこすが如く。おこりおこれども曽て一水もまさず。又波の滅するが如し。滅し滅すれども一滴もうしなはず。曽て人間天上の中に、しばらく諸佛と呼ばれ来り、鬼畜と呼ばれ来る。恰も一面上にかりに衆面を現ずるが如し。是れ佛面とせんも不是。鬼面とせんも不是。然も建化門頭の事。敲唱し来り、まさに如幻三昧を修習し、夢中の佛事をなし来る。これによりて西天の化導幻術今に不断、三国流転して、転凡入聖し来るなり。よく恁麼に転変修習して、まさに自己の罪過をも疎くせず。自己の生死にもまどはされず、これ真箇本色の衲僧なるべし。今日適来の因縁を挙揚するに、例によりて卑語あり。聞かんと要すや。
      
     野山に咲いている桃は自分が鮮やかだと思っていない。
     それでもその姿を見た修行者に、命の力強さを気付かせた。
             野村紅不桃華識 更教靈雲到不疑(頌古現代語訳)

 語註―毘舍離国―ビハール州の州都パトナからガンジス河を隔てて北に約五十五キロにある仏教ゆかりの地 Vaiśālīの音写。吠舎離とも写す。古代に中インドにあった国。当時の六大城・十六大国の一つ。リッチャビー族 (離車族) の住んでいた地域。自治制がしかれ,通商貿易が盛んで,自由を尊ぶ精神的雰囲気があった。仏教経典の第二回結集が行われた。落草―説法のことで、初心者の理解のため、調子を和らげて話すこと。「落草談」の著述がある。建化門頭の事―教化の手段。如幻三昧―大自然のすべてを一時の現象ととらえること。凡聖含霊―凡人と聖人、思いを持つもの。すべての生き物。依正二報―依報し正報の二報は、前世の行いの報いとしての自身とその住む世界を言う。

迦毘摩羅尊者

 

第十三章、  
 第十三祖迦毘摩羅尊者は馬鳴尊者が「佛の命は大海原のようなものであり、山も川もすべての大地がそれによって成り立っているし、仏道修行者の道力もすべてこれによって成り立っている」と教えた言葉を聞いて、すっかり納得した。

 第十三祖迦毘摩羅尊者、因みに馬鳴尊者佛性海を説いて曰く、山河大地皆依て建立す。 三明六通茲に由って発現すと。師聞て信悟す。 (本則現代語訳)

  註記―迦毘摩羅ー130頃~200頃、梵名はカピマラ、Kapimala,または 韋羅尊者(ビーラ)Vīraと呼ばれる。『付法蔵因縁伝』では比羅。『宝林伝』、では毗羅に作り、別名を>迦毗魔羅とし、両者は同人としている。しかし『景徳伝灯録』では専ら迦毘摩羅としているので、この時代に毗羅から迦毘摩羅へと変遷したようだ。なお『ターラナータの印度仏教史』では、「韋羅は大乗教の阿闍梨にして詩人。四大論師の一。インドにては有名ならざれども西蔵では閻浮提の六厳の二勝として有名であるといい、さらに彼の阿闍梨は南天竺の地に来て、多数の伽藍の座主となり、土羅婆梨国に於いて五十か所の道場を新設した」とされている。三明六通―神足通ー機に応じて自在に身を現し、思うままに山海を飛行し得るなどの通力。天耳通- ふつう聞こえる事のない遠くの音を聞いたりする超人的な耳。他心通- 他人の心を知る力。宿命通―自分の過去世を知る力。天眼通ー一切衆生の過去世(前世)を知る力。漏尽通―自分の煩悩が尽きて、今生を最後に、生まれ変わることはなくなったと知る力。宿命通、天眼通、漏尽通の三つをまとめて、三明と呼ぶ。

 迦毘摩羅尊者(カビモラ尊者)はパータリプトラの人だ。初めは仏道以外の道を学んでおり、すでに三千人の弟子がいた。多くの道を熟知していた。馬鳴尊者がパータリブトラに来て、仏の教えを説いていると、一人の老人がきて、説法をしている所でばったりと倒れ伏した。馬鳴尊者が言った、「これは普通の人間ではない。何か特別なものを持っている。」という言葉が終ったところで姿を消してしまった。すると俄かに地中から一人の金色の人が現れた。その後さらに女人に変化して右手で馬鳴尊者を指さし、「長老様に礼拝を捧げます。ここで仏の授記をお与えください。今この地上に於いて、第一義を説き広めます」と言うや否や、姿が見えなくなった。馬鳴尊者が言った。「これは悪魔がやってきて、私と幻術の争いを望んでいるようだ」と。暫くすると天地がたちまち暗くなり、雨風が吹き付けてきた。馬鳴尊者が「悪魔がやってきた証拠だ。」と。「私はこれを取り除こう」と言って空中を指さすと、そこに大きな金の龍が現れ、実に神々しく山岳は振動した。ところが馬鳴尊者はそこでただ静かに坐禅をした。悪魔の幻術はすぐに消え去り、七日後になって一匹の小さな虫が現れた。虫の大きさは蚊のまつ毛に潜む蟭螟ほどに極めて小さく、馬鳴尊者の坐の下に潜り込んだ。尊者はこの虫を手に取り修行者に言った。「これは先日の悪魔のなれの果てで、私の説法を盗み聞きしていたのだ。」と。尊者は放して消え去るように言ったが、その悪魔は動くことができない。そこで尊者は「君も佛法僧の三宝に帰依すれば、本物の神通力が備わるはずだ」といった。そこで悪魔はついに元の姿に返り、尊者を礼拝し非礼をお詫びした。馬鳴尊者が「君の名前は何で、また幾らかの仲間がいるのかね」と質問すると、「私の名前は迦毘摩羅で三千人の仲間がいます。」と答えた。尊者はまた質問する。「君の神通力はどれ程のことができるのかね」と。迦毘摩羅が答えて「私は大海原をここに作ることだって簡単なことです」と。尊者が質問する。「それなら心の大海原を作ることができるかね」と。迦毘摩羅が質問します。「心の大海原とは何かを私は知りません」と。尊者は即座に心の大海原を説明し、「山河大地もすべてここから成立し、三明六通もすべてここから現れている」と語った。これを聞いて迦毘摩羅は初めて納得がした。

 師は華氏国の人なり。初めは外道たり、徒三千有り。諸々の異論に通ず。馬鳴尊者、華氏国に於いて、妙法輪を転ずるに、忽ち独りの老人有り、座前にて地に仆る。尊者衆に謂って曰く、此れは庸流に非ず。当に異相有るべし。言い訖るに則ち見えず。また俄かに地より一りの金色の人を涌出し、復た化して女子となる。右手に尊者を指さして偈を説いて曰く、稽首す長老尊。まさに如來の記を受くべし。いま此の地上に於いて第一義を宣通す。偈を説き訖て見えず。尊者曰く、將に魔の来ること有るべし、吾と力くらべせんとす。暫ありて風雨悪到し、天地晦冥す。尊者曰く、魔来れる証なり。吾まさに之を除くべし。即ち空中を指さすに、一の大金龍を現わせり。威神を奮発し、山岳を震動す。尊者儼然として坐したれば、魔事随て滅す。七日を経て一の小虫有り。大きさ蟭螟のごとくして、形を座下に潜む。尊者手をもって之を取り、衆に示して曰く、これは乃ち魔の変ずる所なり。吾が法を盜み聴くのみ。乃て之を放ちて去らしむに、魔、動くこと能わず。尊者之に告げて曰く、汝倶に三宝に帰依して即ち神通を得べし。魔遂に本形に復し、作礼懺悔す。尊者問て曰く、汝の名は誰ぞや、眷屬多少なるや。答て曰く、我が名は迦毘摩羅。三千の眷屬有り。汝神力を尽くして変化することいかん。曰く、我れ巨海を化すも極て小事と為す。尊者曰く、汝性海を化すること得んや否や。曰く、何を性海と謂うや、我れ未だ嘗て知らず。尊者即ち為に性海を説いて曰く、山河大地皆依て建立す。三明六通も茲に由って発現すと。師聞て信悟す。(機縁及び現代語訳)

 老人が地に倒れ伏してから、一匹の極めて小さな虫に姿を変えるまで、あまたの神通力を駆使した。ここでいう「化巨海極爲小事」とは、海を山に変え、山を海にするなどの多くの神通力を駆使したとしても、「心の海原=性海」などは名前さえ知らないでいる。ましてそれを実現することはきない。それだけでない。山河大地とは何によって成り立つのかさえ知らない。だから馬鳴菩薩は「それは心の大海原」に由っていると説いた。三明六通もここから出てくると言っている。なじみ深い「三昧」とはそもそも「首楞嚴三昧」には「無量三昧」、「天眼天耳六通」の三昧など多くが述べられている。これはどこが初めでどこが終わりという事はない。内容も多岐にわたる。だから山河大地を意識するとき、この三昧が地水火風に変わり、山河や草木とも変わってくる。それはまた皮肉骨髄という自分の拠り所ともなり、五体の各部分ともなる。だから出逢うところの総てのものが自己の分身でないことがない。このように二十四時間、意識しようとも、せずとも自分の人生以外のものでない。連綿とした命の絆もすべてが理由あってのものだ。つまり目に見ること、耳に聞くこともすべてがそのまま自己の生命の具現なのだ。この世界は恐らく仏の智慧でさえ、代わってもらえない世界なのだ。これが「心の海原=性海」の具現だ。そうすると仏法と見ても塵芥と見ても区切りがない世界だ。だから一々数えることもできない「心の海原=性海」なのだ。だから自己の思いを離れている。さらに言えば自身の現実は自己の総てであり、心を知るとは現にわが身に体験してゆくことだ。つまりわが身とわが心は別のものではない。理屈で分けようがない。たとえ外道の行う神通力により、種々な神変奇異を見せたとしても、それが自身の現実に他ならない。しかしこれこそ「心の大海原=性海」と気づいていない。だから自分自身を疑い、他人の行いも疑う。物の道理を知らない者は「根本に達した者」とは言えない。他人と競争する実力もない。だから悪魔の力は正体を現し、神通力が途絶えた。
 ここで遂に自身の過去を改め、聖人に帰依し、争いをやめて正法が現れた。こうなると山河大地が何かと理解できても、過去の続きの自身ではない。自己の本性が理解できても、「自分は分かったのだ」という思いにすがってはならない。仏や祖師がいかに尊くても、自己に代わってくれない。土塀は土塀、瓦のかけらは瓦のかけらだ。そこに落ち着くこと。自己の生命とは気づいても、気づかずとも自己の思いを超えている。しかし一たび「心の大海原=性海」の立場に翻れば、過去と同じように見るもの、聞くもの、体験する自身の身も心も自然と現れてくる。このように体験するものすべてが自己の思いを超えているが、ただそれ以外のものでもない。空を叩いて色々な音声を現し、空に力を加えて種々な形を形成する。音声は音声、姿形は姿形なのだ。これを静かに振り返るとき、これを空だとか有だとか、現れるもの、隠れるものと区別できないし、自分や他人と区別もできない。そもそも他人とは誰で、自分とは誰なのか。空には何もなく、海は水だらけだ。昔からそれは変わらない。そうすると現実に直面するときも、何の足し前もなく、現実が移ろいでも何も失うものがない。過去の寄せ集めが今の自身であり、すべてが自己の生命の顕現だから一心と言っている。そうならば「仏道を明らめ、仏心に証徹するのにも、すべて今の自己を離れて求めてはならない。ただ自己本来の生命が現れれば、他人は人の顔をした鬼と呼んで称える。
 雪峯が言った、この事を会せんと要すれば、我が這裏にて如一面の古鏡に相ひ似たるべし。胡来れば胡現じ、漢来れば漢現ずと。                                                    
 これこそが如幻三昧であり、はじめもいつか分からないし、終わりもいつとは決まらない。だから山河大地を建立する時も皆これによるのだ。三明六通の神通力もここに由っている。だから自己の生命のほかに具体的世界を見ることができないし、「心の大海原」の外に川や井戸の一滴水を考えることができない。今朝もまたこの物語の締めくくりとして拙い詩を示そう。聞いてくれるかな。(提唱現代語訳)

 補註―三昧さんまいー梵語のサマーディsamādhiの音写で、三摩提とも音写し、定(じょう)、正受などと漢訳する。原意は「心を一か所にまとめて置くこと」をいい、これが心を一つの対象に集中し散乱させないという、古代インドでは解脱する手段として種々の方法が考えられたが、ヨーガの修行法は古くから行われ、ヨーガ学派はその極地を三昧とした。首楞厳三昧しゅりょうごんざんまいーあらゆる法門を包含する三昧。śūraṃgama-samādhiの音写語、首楞伽摩三摩地とも音写される。首楞厳(śūraṃgama)は健行や勇行などと訳され、勇敢に行くこと、あるいは英雄の行進といった意味。大乗経典や論書に広く説かれるなか、『首楞厳三昧経』に詳しく説かれる。そこでは、首楞厳三昧を得る事により、菩薩は様々な神通力が可能になるとされ、さらにこの三昧はあらゆる法門や三昧を収めるもの、あらゆる三昧や覚りに至るための法は、すべて首楞厳三昧に随従するとされる。

 実に老人仆地より、蟭螟虫となるにいたるまで、神力を現ずること実に無数なり。いはゆる化巨海極為小事。夫れ海を変じて山となし。山を化して海となし。神力を現することきはまりなしといへども。性海未だ名をだにもしらず。何にいはんや化することあらんや。然も山河大地何物の変と覚することなきに、馬鳴すなはち説く、是れ性海の変なりと。しかのみならず三明六通これより変ず。いはゆる三昧は首楞嚴等の無量三昧、天眼天耳六通これ始もきはなく、終りもきはなく。前三三後三三即是なり。正に是れ山河大地を建立するとき、三昧地水火風と化し、山河草木とも化す。所謂皮肉骨髓とも変じ、五体身分とも化し来る。未た一事一法として分外より来るにあらず。故に十二時中虚く捨つる底の功夫なく、無量生死いたづらにあらはるヽ底の相貎なし。故に眼に見ることもきはまりなく、耳に聞くこともきはまりなし。恁麼の見聞をそらくは佛智もはかるべきことあらじ。あにこれ性海の化作ならざらんや。故に法法塵塵すべてこれ涯畔なき法なり。全く是れ数量に墮せず、是れ即ち性海なり。故に如是なり。然も今身をみるは、すなはち是れ心をみるなり。心をしるはこれ身を証するなり。全く身心二つなし、性相何ぞ分たん。たとひ今ま異道の中にありて神変を現ずるも、又是分外にあらざれども、自らしらず、これ性海なりといふことを。これによりて自をも疑惑し、他をもうたがひ来る。然も其の諸有をしらざれば、総に未達根本者力らをたくらぶるにたへず。故に魔力終につきて、神変しがたし。遂に己をすて他に帰し、あらそひをやめて正をあらはす。然ればたとへ山河大地を会すとも、徒に声色の中に繋縛することなかれ。たとひ自己本性をあきらむとも、又覚知にとどまることなかれ。また覚知も一両の佛面祖面なり。いはゆる墻壁瓦礫これ也。本性はまた見聞覚知にかかはらず、動静によらず。然れども性海を建立すれば、必ず動静去来遂に断つることなし。皮肉骨髓時と共にあらはれ来る。若し根本を論ぜんがごときんば、見聞とあらはれ、声色とあらはるとも、他の為にすべきなし。然れば空を扣てひヾきをなす。故に衆声を現ず。空を化して諸物をあらはす。故に形貎区区なり。故に空は是れ形なしとおもふべからず、空はこれ声なしとおもふべからず。更にこのところに到りて子細に参到する時、これ空とすべきにあらず。これ有とすべきにあらず。故に穏顕の法とすべきにあらず、自他の法とすべきにあらず。なにを呼て他とし、なにを喚て我とせん。恰も空裏に一物なきが如く、大海に諸水現するに似たり。古今曽て変易せず。去来あに別路あらんや。故にあらはるヽ時も一点をも添えず、かくるヽ時も一毫をもうしなはず。衆法を合成して此の身とす。萬法を泯絶して更に一心と説く。故に道を明め心を証すること、すべて分外に向ひて求覓することなかれ。只だ自己本地の風光現成し来れば。他これを呼て人面鬼畜とす。雪峯曰。要会此事。我這裏如一面古鏡相似。胡来胡現。漢来漢現。全くこれ如幻三昧。故に始もきはまりなく、終りもきはまりなし。故に山河大地を建立する時も皆是れに依る。顕発三明六通時も茲れに由る。この故に自心の外に大地寸土をみることなかれ。性海の外に河水一滴をつくることなかれ。今朝又此の因縁によりて卑語を着んと欲す。要聞麼。良休して曰く、

 註記―この段の逸話は『付法蔵因縁伝』にはなく、『景徳伝灯録』の馬鳴章にある。蟭螟蟲ーしょうめいちゅう・・・ごまむし。蚊のまつげに巣くうという想像上の小虫。微小なもののたとえ。

   暫くして言う、広く果てしない大海原の波が天に届くとも、
          本来の水に何も代わり映えがない。
              ()渺波濤縱滔天、清浄海水何曽変(頌古現代語訳)

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