一宮市恵林寺のブログ

愛知県一宮市恵林寺と関口道潤に関する坐禪会の提唱その他を紹介します。

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第二十章
 第二十祖。ジャヤタ(闍夜多尊者に、ある時十九祖クマーララータ尊者が示した。「君はすでに身と口と心の三業の作る事を理解しているが、しかし未だ行いは迷いから生まれ、迷いは気が付かない過去の体験から生まれ、過去の体験は気が付かないことにより、気が付かないことは本来無垢の生命に起因していることを知らない。生命は本来清らかであり、生滅もなく、何かを作ることもなく、報いを受けることなく、他人と争うこともない。ただそのままですべてが整っていることを知らない。もし君がこの法の在り方を体得すれば、もう仏さまと同じだ。すべての善悪、有るもの、無いものも夢幻のようなものだ」と。ジャヤタ尊者はそれを聞いてすべて理解した。そこで過去世の智慧力に誘われた。  闍夜多尊者。因みに十九祖示して曰く。汝已に三業を信ずと雖も。而も未だ業は惑より生じ、惑は識に因て有り、識は不覚に依り、不覚は心に依り、心本清浄にして。生滅無く、造作なく、報応無く、勝負無く。寂寂然、霊霊然たるを明らめず。汝若し此の法門に入れば諸佛と同じかるべし。一切の善悪、有為無為皆な夢幻の如しと。師聞き言を承け旨を領ず。即ち宿慧を発す。(本則並びに現代語訳)闍夜多尊者は北天竺国の人。智慧は豊かで人を教化するに限りない。ある時中インドにおいて摩羅多尊者に出逢って質問した。我が家の父母はいつも佛法僧の三宝を信じているのに、疫病に煩わされてなすことが皆心にかなわない。ところが隣の家では以前から旃陀羅を生業としているのに、健康で皆心に適っている。隣家の幸福と我が家の不幸はどうしてでしょうか。鳩摩羅多尊者が答えた。「疑いを持ってはいけない。善悪の報いには三つの形態がある。一見行いの善い人が早死にし、凶暴な者が長生きをする。身勝手な者が僥倖を得、義理堅い者が不幸に出会う。そこで因果の道理は虚偽であり、罪や福を考える必要がないと。これは人の世にはよくあることだ。だが人の為すこと言うことは惑いを少しも離れない。無限の時を重ねても摩滅しない。因縁とは必ず現実となる。闍夜多がこの教えを聞いて、従来の疑念を晴らした。鳩摩羅多尊者が言った。「君はすでに身口意の三業を信じている。乃至過去世の智慧に誘われた。

 師は北天竺国の人也。智慧淵沖にして化導無量なり。当時中印度にて十九祖に逢い問て曰く、我が家の父母素より三宝を信ず、而も嘗て疾瘵に縈れ、凡そ営む所、皆不如意と作る。而るに我が隣家久しく旃陀羅の行を為すも、身常に勇健にして所作和合せり。彼れ何の幸にして而も我れ何の辜かある。尊者曰く、何ぞ疑ふに足らんや。且く善悪の報に三時あり。凡人は恒に仁なれども夭、暴なれども寿を、逆なれども吉を、義なれども凶を見て、便ち謂ふ、因果亡く、罪福虚しと。殊に知らず影響相ひ随ふこと毫釐も忒ふこと靡し。景は忒に作る。縱ひ百千萬劫を経れども。亦た磨滅せず。因縁必ず相ひ値ふと。時に師、是の語を聞き已て、頓に所疑を釈す。尊者曰く、汝、已に三業を信ずと雖も乃至即ち宿慧を発す。

 註記ー闍夜多Śayata/ Jayata 370頃~450頃 グプタ朝スカンダグプタ治世の頃か。435–467または455–456~457。このころ法顕三蔵がインドを訪問している。399ー413。ナーランダ寺はまだ完成していなかった。北天竺国―これはガンダーラ地方と考えられる。タクシャシラという王国がタキシラ(現在・パキスタン)を中心とする地域を支配したとされる。『付法蔵因縁伝』では、闍夜多尊者は「禁戒を持ち、漏失すること有ることなし。世尊の記する所のの最後の律師なり」とあり、付法の後、德叉尸羅城に行化したことが述べられている。旃陀羅ー(Caṇḍāla の音訳) インドバラモン教で四姓の最下級である首陀羅よりもさらに下の階級。アウトカースト。屠畜、漁猟、獄守などの職業にたずさわった。不可触民。ダリット。しかしこの因縁は『付法蔵因縁伝』には全く述べられていない。この話は『宝林伝』で初めて見られるが、その後『祖堂集』、『景徳伝灯録』などに受け継がれた。『伝光録』は『伝灯録』の鳩摩羅多章とほぼ一致している。なおインド国民がヒンドゥー教の過酷な差別虐待を免れたのはビームラーオ・ラームジー・アンベードカルBhimrao Ramji Ambedkar、1891~1956 )が主導してマハラシュトラ州ナグプールで三十七万人の仲間とともにヒンドゥー教を捨て、仏教に改宗した時代まで待たなければならなかった。(ヒンドゥー教から改宗することをディークシャDeeksha)と呼んでいる。)彼はインドの政治家・思想家で、インド憲法の草案を作成したほか、不可触民(ダリット)改革運動の指導者、近代インドにおける仏教革新運動の指導者。ヒンドゥー社会の最下層、アンタッチャブルあるいはダリットとして知られるカーストに属する両親のもとに生まれた。彼は「自分はヒンズー教徒として生まれたが、私は決してヒンドゥー教徒としては死なない」と宣言し、その後、自身および自らに追随する者のためにナグプールで改宗式を行った。ナグプールは彼の半世紀における努力と仏教信仰を支持したナグ族の故国であった。 ナグプールのラムダスペースに隣接する地区がその会場として選ばれた。1956年十月十四日、アンベードカル夫妻はマハスタヴィル・チャンドラマニMahasthavir Chandramaniを戒師として三宝に帰依し、五戒を受けて仏教徒の誓いをした。そして会場を埋めた三十七万人もの民衆に、三帰五戒および「アンベードカル二十二の誓い」を仲間に与えた。現在インドの仏教徒は四億人ともいわれているが、インドのブラーミン(官僚、学者、ジャーナリスト)たちはヒンドゥー教徒の一部だとして、その存在を隠している。

 ここに述べた物語は修行者一人一人が確実に了解せねばならない。言うところの「常日頃、仏法僧の三宝を信じているのに、病にかかって、体調が優れない。ところが隣家では長らく旃陀羅の行いをしているのに、身体は丈夫で自由に働いている」とは、このように考えられる。「われ佛法に帰依して年久し。佛法のちからによりて其身つねに無恙。其事心にかなふべきに。悉く心にかなはず。身又病にまどわる。是何の罪ぞ。旃陀羅もとより悪事を行ず。すべて善種を修せず。然るに事にふるること吉祥にして身勇健なり。これ何の幸かあると。」今の人たちもそのように思うだろう。出家者さえもその思いをなすのだから、在家人がそうように感じるのは当然だ。そこで言った「君は疑う必要がない。そもそも善悪の報いには三つの時間的な違いがある。普通に考えても、他人に仁愛の心を持つものが若死にすることもあり、横暴な行いをする者が長生きすることもある。惡逆を作る者が幸福であり、信義をわきまえるものが、凶悪となることを見て、過去とは何か、未来とは何かをはっきりさせず、たださしあたりの現実を観察し、因果の法、罪と福などは虚構だ考える。それは愚痴の極みであり、仏道の学びが不徹底なためにそのように思っているのだ。昔から三時業というものがある。順現業―今の世で善悪の業を作るのに、その生涯の中で果報を受けること。これを順現業と名づける。二順次生受業。今の世で善悪の業を作って、この世では現れず、次の生に果報を受ける。五逆七遮ー五逆罪と七遮、五逆とは殺父、殺母、殺阿羅漢、出仏身血、破和合僧でありこれに殺和尚・殺阿闍梨を加えて七逆罪(<七遮)とする。これ等は必す順次生に報をうける。三順後業。今の世で原因を作り、次の世、その次の世、さらに無量の世の間に行いの果を受ける。だから過去の善い行いによって、今の世の善い結果を受けるとしても、或いは昔の世の行いによって今の世に受ける結果は同とは限らない。だから過去世の善悪の行いがはっきりしているものは、今の世に善悪のはっきりとした結果を受ける。ところが善悪の行いが入り混じっているものは、今の世で善悪入り混じった行いの結果を受ける事となる。仏道修行の者は重い善悪の行いが゛あっても、結果として軽くなることもあり、軽い善悪の行いをなくすることもできる。それは本来過去世の悪い行いは、未来世に重い苦しみの結果を受けるべきであるが、今の世の修行の努力により、軽くなることもある。或は病に罹り、或は自身の思い通りにならないこともある。或は何か口に出せば、他人に見下されることもある。これらは未来に受けるべき重い苦の行いの結果を、今の世に軽く受けているのだ。だから仏道修行の力は実に頼もしいものだ。過去世に繰り返して作り重ねた悪業の報いは、一心腐乱に努力すれば、すべてが消えてなくなるのである。ただ仏道の学びにおいて、それなりに道を身に着けても、他人は悪い評価をしたり、自身の為すことが思い通りにならず、身体も健康でないこともあるが、ここで重い行いの結果を軽いものとすることもできると受け止めて、他人が悪の行いを批判することがあっても、その人を恨んではならない。他人からの悪口を、くよくよしてはならない。自分を謗った人に対して礼儀正しくするのはよいが、悪い人間だと決めつけてはならない。佛道の行いは日々に積もってゆき、過去世の行いの結果はその時時に消えてゆく。このことをしっかりと心身に踏まえて修行すべきだ。君が身口意の三つの行いの因果を信じたとしても、行いの根本を理解できていない。行いというのは、善悪の報いが決まっており、凡人と聖人の区別もさまざまである。三界六道・四生九有といわれるが、これらは皆すべて行いの報いなのだ。そもそも迷いとは、憎み愛してはならないものを憎み愛し、是非の判断をしてならないものを是とし非とする。惑いとは、男でないものを男と認識し、女でないものを女と認識し、自他の区別をこしらえる。不覚とは、自己の根源を知らず、あらゆるものの出発点を明らかにしない。そのためにあらゆる物事に智慧の眼を失う。これを無明と呼ぶのだ。その心は本来清浄であり、先入観も反応もないので、自他の縁に背く事もない。この心の一変するのを不覚と呼ぶ。この不覚の心が起これば、自己の心は本来清浄であり、霊明なものであり、この心の働きによって、無明はたちどころに退散し、十二の因縁も四生六道も全く不要となる。人々の本心とはこのようなものだ。だから生と滅との違いもなく、作られた物事も存在しない。そこには憎みと愛もなく、増えもしなければ減りもしない。ただあるがもまま、そのものなのだ。  だから諸君に言う。本心を体得しようと思えば、萬事を放下し、諸緣を休息して。善悪を思はず、眼を鼻の先にかけて、本心と対面するがよい。心が静寂なときには、あらゆる物事がみななくなる。根本の無明が終息するので、末節の業報は存在しない。それは無分別の所にも留まらず、不思量の際にも拘らない。常住でもなく、無常でもない。無明とか、清浄とかの実体もなく、諸仏と衆生とく分け隔てもない。これは清白円明の田地というべきである。ここに到達すれば本物の修行僧である。そうであれば諸仏と同じである。ここに至れば一切の有る物、無いものは、みんな夢幻のようなものだ。それは手に取ろうとしても、手に入らず、見ようとしても目に見えない。ここに至れば、諸仏出世以前の所を明らかにし、衆生未顛倒の所に到達する。この田地に至らない時は、君たち修行者が、幾ら一日中、礼拝し、行住坐臥の生活に心身を調えようとも、それは自と他を比較し、是非の心を入れた人天、有漏の業報そのものだ。影が自身の形の従うように、有ったとしても実佛でない。だから君たち諸君各々、真の努力を傾注し、この本心を明らかにせねばならない。そこでいつものように拙い詩を紹介する。聞いてほしい。

 語註―縈疾瘵―
病にかかる。

 上来の因緣、実に学人として一一精細に見得すべし。いはゆる「素信三寶。而嘗縈疾瘵。凡所營作皆不如意。而我隣家久爲旃陀羅行。而身常勇健所作和合」すと。ここにいたりておもふ。われ佛法に帰依して年久し。佛法のちからによりて其身つねに無恙。其事心にかなふべきに。悉く心にかなはず。身又病にまどわる。是何の罪ぞ。旃陀羅もとより悪事を行ず。すべて善種を修せず。然るに事にふるること吉祥にして身勇健なり。これ何の幸かあると。今人も如是おもへり。出家猶是の心あり。況や在家は皆如是。いはく汝何ぞ疑ふにたらん。しばらく善悪の報に三時あり。おほよそ人の仁ある者中夭あり。卒暴なる者壽命ながし。逆罪するも吉祥也。義ふかき者凶悪なるをみて。過去をも明らめず。未来をも会せず。ただ眼前の境にまどはされて。即因果なし罪福空ししとおもふ。是すなはち愚癡のはなはだしき也。学道おろかなるゆへ如是也。三業とは、一順現業。今生善悪業を修するに、即一生涯の中に報を受く、是を順現業となぞく。二順次生受業。今生業を修して次の生に果報を受く。五逆七遮等は必す順次生に報をうく。三順後業。今生業因を修して、次の三生四生乃至無量生の間に業果を受く。然れば過去の善業によりて。今生の善を受くといへども。或ひは往業によりて今果不同なり。いはゆる純善悪業因の者は。今生純善悪業果を感ず。雑善悪業の者は、雑善悪業を受る也。又佛法修行の力ら転重受転。転軽今はなからしむる也。曰く過去劫の悪因未来に重苦感得すべきが、今生修行の力らによりてかろく受ることあり。或ひは病にまつはれ。あるひは事として心にかなはず。或ひは言を出せば人にかろしめらる。是悉く未来の重苦を今生に軽く受る也。然れば佛法修行の力らいよいよたのみあるべし。過去遠遠に修せし報は。ただ勇猛精進せば悉皆かるからしむべし然も参学の人として随分道を解すといへども。或ひは悪名をうけ。或ひは営作心にかなはず。身も勇健ならざる事あり。即転重受軽とおもふて。人ありて憎悪すとも。曽てうらむることなかれ。人ありて謗毀すとも。曽てとがむることなかれ。彼の謗人あまつさい敬礼することはありとも。厭悪することなかれ。道業日日に增長し。宿業時時に消滅す。然も須く子細に参得修行すべし。汝既に三業を信ずといへども。未た業の根本をしらず。業といふは善悪の報わかれ。凡聖のしな異也。三界六道・四生九有。ならびに業報なり。此の業は迷より発す。夫れ迷といふは憎愛すべからざるを憎愛し。是非すべからざるを是非す。其の惑といふは。男にあらざるを男と知り。女にあらざるを女としり。自をわかち他をへだつ。其の不覚と云は、自己の根源をしらず。萬法の生処をしらず。一切処に智慧をうしなふこれを無明と名く。これは思慮なく緣塵なし。是の心本清淨にして。余緣にそむくことなし。此の心の一変するを不覚といふ。此の不覚を覚知すれば。自己心本清浄なり。自性霊明なり。如是明らめ得れば。無明即やぶれて。十二輪転終に空し。四生六道速に亡ず。人人本心如是し。故に生滅のへだてなく。造作の品なし。故に憎なく愛なく。増なく減なし。ただ寂寂然たり。霊霊然たり。諸人者本心を見得せんとおもはば。萬事を放下し。諸緣を休息して。善悪を思はず。しばらく鼻端に眼をかけて。本心に向ひてみよ。心寂なる時。諸相みな尽く。其の根本の無明既にやぶるる。故に枝葉業報すなはち存せず。故に無分別の処にとどこほらず。不思量の際に拘らず。常住にあらず。無常にあらず。無明あるにあらず。清浄なるにあらず。諸佛のへだてなく。衆生のわかちなし。清白円明の田地にいたりて。始て本色の衲僧たるべし。若如是ならば。諸佛とおなじかるべし。ここにいたりて一切有為無為。皆つきて夢幻の如し。とらんとすれども手虚しく。見んとすれども目拘はることなし。此の田地にいたりぬれば。諸佛も未た出世せざる旨を明らめ。衆生も未た顛倒せざる処に達す。参学未た此の田地にいたらずんば。十二時中礼佛し。四威儀中に身心を調るとも。唯是人天の勝果。有漏の業報なり。影の形に隨ふが如し。有といへども実にあらず。故に人人精彩をつけて本心を明らめよ。例によりて卑語をつく。要聞麼

 

     クスノキは大空に聳えている。

     その枝葉と茎や根は土の中ではなく雲の外で栄えている。

        豫章従来、空裏に生じ 枝葉根茎雲外に栄ゆ。
        豫章従来生空裏 枝葉根茎雲外栄(頌古及び現代語訳)

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第二十一章
  第二十一祖。婆修盤頭尊者にある時、二十祖闍夜多尊者が語った。私は仏道を求めないが、顛倒もしない。私は佛を礼拜しないが、軽慢することもない。私は長時間の坐禅をしないが懈怠してもいない。私は一日一食をしていないが、余分な食事もしない。私は足ることを知らないが、欲を貪ることもない。心に求める所がないが、道に適っている。と。その時婆修盤頭はこの言葉を聞いて無漏の智慧を発した。

  第二十一祖。婆修盤頭尊者。因みに二十祖曰く、我れ道を求めず、亦た顛倒せず。我れ、佛を礼せず、亦た軽慢ならず。我れ長坐せざるも亦た懈怠せず。我一食せざるも、亦た雑食せず。我れ知足せざるも、亦た貪欲ならず。心に求むる所なけれども、名けて之を道と曰ふ。時に師、聞き已て無漏智を発す。

  語註―婆修盤頭(vasubandhu 西暦400頃~480頃) この名は玄奘訳以降定着した。それより前には「天親」(てんしん)と訳されていた。「婆薮般豆」、「婆薮般頭」と音写する事もある。世親の伝記については、真諦訳『婆薮槃豆法師伝』、玄奘訳『大唐西域記』やその弟子・基の伝える伝承、>ターラナータ『仏教史』中の伝記などがある。『婆薮槃豆法師伝』によれば、世親は仏滅後900年にプルシャプラ(現在のパキスタン ペシャーワル)で生まれた。三人兄弟の次男で、実兄は無著(アサンガ)、末弟は説一切有部のヴィリンチヴァッサ(比隣持跋婆)。兄弟全員が世親(ヴァスバンドゥ)という名前であるが、兄は無著、弟は比隣持跋婆という別名で呼ばれるため、「世親」とは専ら次男のことを指す。初め部派仏教の説一切有部で学び、有部一の学者として高名をはせた。後、兄・無著の勧めによって大乗仏教に転向した。無著の死後、大乗経典の註釈、唯識論、摂大乗論の註釈などを行い、アヨーディヤーにて八十歳で没した。『付法蔵因縁伝』では「闍夜多の嘱累を受け経藏を宣通す。多聞の力ありしを以て、智慧・弁才あり、・・・善く一切の修多羅の義を解し、分別し宣説し広く衆生を教化し、・・・・摩拏羅に法を付した」と簡単に出ている。『付法蔵因縁伝』が中国で編纂された当時、まだ真諦訳『婆薮槃豆法師伝』は伝えられていなかったという。『伝光録』に引用される機縁は『景徳伝灯録』のものとほとんど同じだが、『婆薮槃豆法師伝』の内容とはかなり隔たっており、これは漢土での創作と思われる。三時業ー『正法眼蔵三時業』に詳しい。十二輪転―十二因縁とも。無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の十二、この十二において、無明によって行が生じるという関係性を観察し、行から次第して生や老死という苦が成立するを知るを順観といい、無明が消滅すれば行も消滅するという観察を逆観という。三界―欲界、色界、無色界。六道―九有情居の略。有情が存在可能な九つの領域。①欲界(六欲天)②梵衆天一禪天 ③光音天―二禪天 ④遍浄天―三禪天 ⑤空無辺処 ⑥識無辺処 ⑦無所有処 ⑧無想有情処 ⑨非想非非想処。

  婆薮槃豆尊者はラージャグリハの人。父は光蓋、母は厳一である。その家は豊かだったが後継ぎがいなかった。両親はたくさんの寺院仏塔に祈って後継ぎを求めた。有る日の夕方、母は明るいのと暗い二つの珠を呑む夢を見て、懐妊した。七日の後に賢衆という羅漢がその家にやってきた。光蓋が礼拝すると、羅漢はそれを受けた。ところが妻の厳一が羅漢に礼拝しようとすると賢衆羅漢は席を避けて言った。「その礼拝は法身の大士に巡らすためにである」と。光蓋はその理由が分からなかった。そこで光蓋は一つの宝珠を持ち出して賢衆羅漢に差し上げて、その理由を確かめようとした。すると、羅漢は無言のまま受け取った。光蓋は承服できず、羅漢に質問した。「大の男子が礼拝しても無視したのに、私の妻にどんな徳があって貴方が礼拝を避けるたですか。  賢衆羅漢は答えた。私があなたの礼拝を受け、宝珠を献納するのを祝福しようととしただけであり、しかし貴方の夫人は聖子を懐妊している。この子は生まれて後、必ず世の灯、智慧の太陽となるでしょう。だから私はその子の礼拝を避けたのであり、ことさら女の人を重んじたわけではない。羅漢はさらに言った。あなたの夫人は二人の子供を産むでしょう。一人は婆修盤頭と言い、これが私が尊く思っといるものであり、二人目は芻尼という。意訳すればカササギである。むかし仏陀世尊がヒマラヤで修行していた時に、このカササギが世尊の頭上に巣をかけた。佛世尊が成道したのちに、その報いで那堤国王となった。佛世尊は予言を与えた。この子は第二の五百年に於いて王舎城の毘舎佉の家に生まれて、聖子と同じ胎内に宿ると。間違いなく、その後一か月して二人の子供が生まれた。修盤頭尊者は十五歳の時、光度羅漢について出家した。毘婆訶菩薩が戒法を授けた。その後、闍夜多尊者が布教をして王舎城に至り、頓教を広めた。その門下に幾多の修学者がおり、他人と弁論をよくした。その第一が修盤頭尊者であった。意訳すると遍行といい、常に一食し、横になって寝ることがない。一日中仏陀を礼拝し、清浄無欲であった。そのため修行者たちに尊敬されていた。闍夜多尊者は、その青年僧を正法に導こうとして、その修行者仲間に質問した。「この遍行道者は仏道を究めるだろうか」と。修行者の一人が答えた。私の師はよく精進しています。だから不可能なことはありません」と。闍夜多尊者は「君の師匠は仏道とは遠く隔たっている。たとえ永遠に苦行したとしても、それは偽りのものでしかない」と。修行者が言った。「貴方はなぜ我が師の徳行を見ないで、批難をするのですか」。尊者が言った。「私は道を求めないが、・・・・・乃至、無漏地を発し、歓喜賛嘆した。」 尊者はその修行者たちに対して語った。「私の言葉が理解できるかな。私は求道心が確実だからなのだ。そもそも弓の弦を張りすぎれば切れてしまう。だから私はそれを誉めないで、安楽の世界に住んで、佛たちの智慧に入らせるのだ。(機縁現代語訳)  

  師は羅閲城の人也。姓は毘舍佉。父は光蓋、母は嚴一。家は富めども子なし。父母、千佛塔に祷て嗣を求む焉。一夕、母明暗の二珠を呑むを夢む、覚て孕む有り。七日を経ぎて一羅漢有り、賢衆と名づく、その家に至る。光蓋、礼を設く。賢衆端坐してこれを受く。嚴一出て拝す。賢衆、席を避けて曰く、礼を法身の大士に廻らせばなり。光蓋その由へを測るなし。遂ひに一宝珠を取って。跪て賢衆に献じ、その真僞を試むるに、賢衆即ちこれを受けて、殊に遜謝なし。光蓋忍ぶこと能はず、問て曰く、我是の丈夫礼を致すも顧りみず。我が妻何んの徳ありてか尊者これを避くるや。賢衆曰く、我れ礼を受け、珠を納むること汝を福せんことを尊ぶのみ耳。汝が婦聖子を懐む、生れて当に世燈慧日たるべし。故にこれを避くるなり。女人を重んずるには非ざるなり。賢衆又曰く、汝が婦当に二子を生むべし。一は婆修盤頭と名づけ、則ち吾が尊する所の者也。二は芻尼と名づく。ここには野鵲子と云ふ。むかし如来雪山に在りて修道す。芻尼頂上に於いて巣くふ。佛既に成道するに、芻尼報を受けて那提国王と為る。佛記して曰く。汝第二の五百年に至って。羅閲城毘舍佉の家に生まれ、聖と同胞ならむ、今爽ふことなし矣。後一月、果して二子を産む。尊者修盤頭。年十五に至り光度羅漢を礼して出家す。毘婆訶菩薩これがために戒を授れるを感ず。然れども二十祖闍夜多尊者、行化して羅閲城に至り、頓教を敷揚す。彼に学衆有り、唯だ弁論を尚ぶ。これが首たる者を婆修盤頭と名づく、ここに遍行と云ふ。常に一食して臥せず。六時に礼佛し、清浄無欲なり、衆為に帰する所なり。尊者将に之を度せんと欲し、先に彼の衆に問うて曰く、此の遍行頭陀能く梵行を修す。佛道を得べきや乎。衆曰く、我が師精進なり、何が故に不可ならん。尊者曰く、汝が師道と遠し矣。苦行を設けて塵劫を歴とも、皆虚妄の本也。衆曰く、尊者何の徳行を蘊んで我を師を譏るや。尊者曰く、我れ道を求めざれども・・乃至無漏智を発す。歓喜讃歎す。尊者又彼の衆に語って曰く、吾が語を会するや否や。吾れ然る所以は、其の求道の心切為ればなり。夫れ絃急なれば即ち断つ故に吾れ讃せず。其をして安楽地に住し諸佛の智に入らしめん。(機縁)

  この物語は仏道修行において最も秘訣である。なぜならば佛とはこれからどうにかできるものと考え、特別な手段があると考え、或は仏門の生活規範を大切にし、一日中坐禅して横にならないとか、仏像を礼拝し、経典を転読して、あらゆる功徳を積み重ね、道を得ようとするのは、大空に花を降り注ぎ、穴のない所に穴を作り出そうとすると同じだ。たとい永遠に努力しても、それによって解脱することはない。有りもしないものをわが心に願わない、これを道というのだ。だから足ることを知るというのも欲張りが元となっている。一日中坐禅するというのも、我が身をどうにかしようという間違いがある。一日一食を願うのも安心して食事にあずかろうとする欲がある。また仏像を礼拝し、経典を転読するのも、目の中に花を見るようなものだ。それらの行いは皆、虚構の始まりであり、自分自身のこととなっていない。かりに長い坐禅が道だとすれば、人が生まれるとき、誰もが十か月母胎で坐っていが、それも道だとこじつけ、さらにその上に長坐を加える必要がない。病気の仏弟子が、その間に食事が乱れるが、それは修行者でないと言えるだろうか。まさに大笑いだ。仏弟子が様様な規律を立てて、佛祖の標準を示したのはこの通りだ。それなのに、一方に偏執すれば、それはすでに煩悩となる。あまつさえ生死去来を嫌って、その上で道を求めるとすれば、君が永遠の昔からここに死に別なところに生まれることが終らない。それでは一体いつ道を得る時節が来るというのか。それなのに、趣を変え品を変えて道を求めようとしているのは、それらが皆見当違いをしていることになる。だからそこからは仏道を円満することはない。もともと私たち衆生は迷いがない。誰も迷うことなく、覚るべき何物も存しない。だから迷いを転じて覚りとし、凡夫を改めて聖者とするというのは、物の道理が分からない人の言い分なのだ。変えなければならない凡夫もなければ、覚るべき迷いも存在しない。そこで夾山和尚が言っている。
  明明たる無悟の法、法を悟れば却って人に迷ふ。
  長く両脚を舒べて眠る、偽もなくまた真もなし。
 
 仏道の核心とは正にこのことを言うのだ。しかしこのことは初心晩学も共にしっかりと学び究め、此の何ともない世界に至らなければならない。それはなぜかと言えば、自分自身の体験でなければ、他人の意見に惑わされるからである。だから自分の目でしっかり見ようとしても、佛の顔をした悪魔に邪魔される。今日ここでこのように学んで、得るべきものはないと理解しても、或は別の指導者が「法の得るべきものがあると説いたり、佛の顔をした悪魔が「さらに修すべき法がある」と言ったらば、心のよりどころが乱れ動いて反対に迷うを起こしてしまう。だから今諸仏の正しい教えを受けて、しっかりと学び究めて、自分自身の落ち着きどころを得なければならない。この落ち着きどころに至れば、食べることに飽きた人と同じだ。王様の食事でさえも欲しがらない。だから美味しい食事も、満腹の人には無用だと。古人が言っている「病気して、回復の後に平癒の安らぎを得る」と。よく考えてみると、自己本来の生命は、仏という他人を区別せず、衆生という他人も認めない。そこには厭うべき迷いも、求むべき悟りも存在しない。それを納得させるために達磨大師がインドから東土にやってきて以来、智慧の有る無しを問わず、久学新参を区別せず、ただ坐禅して、自己に安住させた。これこそ「大安楽の法門」である。だから諸君は、永遠に昔から今にいたるまで、誤りがないのに誤っていると誤解している。他家の屋根に積もった霜を気にして、我が家に宝があることを忘れてはならない。だから親しい旧友に今遭遇しているのだから、将来に成道する日を待っていてはならない。自分の着ている粗末な着物をふるってみれば、自身方寸(三センチ四方)の中にある宝物を探し出さねばならない。それは自己以外に求めてはならないのだ。そうだとするならばたくさんの法門も数えきれない仏事も、すべてここから流れ出て、天地一杯を覆いつくしている。だから「道は求めてはならない。自己を大切に生きる」だけなのだ。永遠の昔から、持ち続けてきた自己とはひと時も離れることがないのに、自己という物を知らないでいることは、ちょうど手に持った宝物を何処だどこだと探し回るようなものだ。とんでもない勘違いであり、それは自己という物に気が付かないだけなのだ。今しっかりと目をつけてみると、諸仏の素晴らしい生き方も、祖師方の法を伝えたことも、ただこの一事に収まる。疑いを抱いてはならない。君たちがここに落ち着くときに、どうして老和尚の言うことを疑えようか。この本則にある「聞き終わって無漏地を発す」とあるが、その無漏地を発しようとするならば、それはただ自己を大切にすることだ。もし自己を大切にしようとするならば、生きて老いさらばえる、このことだと受け止めるべきだ。そこで重ねて言う、捨てるべきものは何もなく、求めるものも何もないと。それ以外に無漏地を起こそうしてはならない。今日また例によって拙い一語でこの物語をまとめてみる。聞いてくれるかな。(拈提現代語訳)

 
この因緣殊にこれ学道のもつとも祕訣なり。ゆいかんとなれば、佛成ずべきあり、道のうべきありとおもふて、あるひは持斎梵行、長坐不臥、礼佛転経して、一切の功徳をかさねて、この得道のためにせんと。悉くこれ華なき空に華をふらし、穴なきところに穴を生ず。たとひ塵劫微塵劫をふとも。解脱の分なからん。まさにとかく心にねがふところなき、これをなづけて道といふ。然れば知足を欲するも、かへりて貪欲の本なり。かならず長坐をこのむも、これ身にとどこほるとがあり。一食ならんとする、これまた食を見るの分あり。また礼佛転経せんとする、これすなはち眼に華を生ず。故に一一の行業殊にこれ虚妄の本、またく自己本分の事にあらず。長坐もし道なるべくんば、生る時みな十月坐し来る。これすなはち道なるべし。何ぞふたたびもとめん。持斎もし道なるべくんば、ここに病することあらんとき、食時さだまらず。このときこれ道人ならざるべきか、もつとも大にわらふべし。佛弟子様様の清規をたて、佛祖の操行を示すことかくのごとし。然るを執して偏ならば却て煩悩なるべし。然も生死去来をいとひ、さらに道をもとむべくんば、汝無始よりいまに此に死し彼に生ずを断ずべからず。いづれのところにか道をうる時節とせん。然もかくの如く諸事にかかはりて、すなはち道をもとめんとおもふ、ことごとくこれあやまりて会するなるべし。さらに何の佛の成ずべきをかみん、何の衆生の迷べきをかみん。ゆへに一人として迷ふ人なく、一法として悟るべき法なし。このゆへに迷を転じて悟となし。凡を転じて聖となすといふも。悉く皆な未悟の人の言なり。さらに何の凡の転ずべきかあらん、何の迷のさとるべきかあらん。ゆへに夾山和尚曰。明明無悟法。悟法却迷人。長舒兩脚睡。無僞亦無眞。  実にこれ道の体かくのごとし。雖然如是。初機後学子細に参じ。かくのごとく平穏の地にいたるべし。ゆへいかんとなれば、自己もし実地するところなければ、或は人の言によりて惑はさる。ゆへに眼をあげて見んと思へば、佛魔のためにおかさる。今日たとへ如是の所説を聞てうべき所ろなしと解すと云とも、更に或は知識ありて、法の得べきありとも説き。もし佛魔来つて更に修すべき法ありといはば、果して心覚動しかゑつて顛倒せん。今諸佛の正訓をうけ。子細に参徹して。須らく自己安楽の地に至るべし。一度安楽の処ろに至る如き人は、恰も食に飽る人の如し。王膳なりと云ふとも、すなはち希望すべからず。故に云ふ。美食飽人の喫するにあたらず。古人の云く、一度煩らひてやがて安しと。子細に見来んに、自己本分の心佛を見ず、衆生をみず、あに迷と厭ひ悟と求むべけんや。その人をして直に見せしめんとして。祖師西来よりこのかた、有智無智をいわず。旧学新学をいわず。一片に端坐せしめて、自己に安住せしむ。すなはちこれ大安楽の法門なり。ゆへに諸人者曠劫よりこのかた今日にいたるまで。錯まらざるを錯りと思へり。徒らに他人門上の霜をのみ管して。自己屋裡の宝を忘ることなかれ。故にいま親友まさに汝等相あへり。遥かに道を他日に期することなかれ。只須く衲衣をひるがへし、まさに自己方寸の中に向つて、子細に検点将来して、須く他に向つて求むべからず。もし如是ならば、百千の法門も無辺の佛事も、悉く是れより流出し、蓋天蓋地し以て行かん。切に忌む道を求むることを。只自己を保任すべきのみなり。曠劫より以来た。将来り将去り、片時もはなるることなしと云ふとも、すべて自己あることを知らずんば、あだかも手に持ちながら、東西に求るがごとし。これ幾の錯とかせん。是只自己を忘れたるのみ。今日委悉に見来るに。諸佛の妙道も、祖師の単伝も、ただこの一事にあり、あへて疑ふべからす。諸人恁麼の地に至らんとき、あへて天下の老和尚の舌頭を疑はざるべし。上にいふ、聞已て無漏智を発す、無漏地を発せんとおもはば、ただすべからく自己を保任すべし。もし自己を保任せんと思はば、生より老に至る、ただこれ這箇なりと知らん。すべて一塵のすつべきなく、一法のもるべきなし。更に別に無漏智を発せんと思ふことなかれ。今日例によりて卑語あり、適来の因緣を演んと思ふ。要聞麼(拈提)

    風は大空を吹きわたり、雲は山の峰を飛び出している。
    そこでは仏道の話も、世間のことも皆な通り越している。
      
風、大虚を過ぎ、雲、岫を出づ 道情世事都て管する無し。               風過大虚雲出岫 道情世事都無管(頌古及び現代語訳)

22sokai-1

第二十二章
  第二十二祖、摩拏羅(マノラタ)が、婆修盤頭尊者に質問した。「仏の覚りとはどういう物ですか」。尊者が答えた、「生命の拠り所がそれだ」。マノラタがさらに質問した。「生命の拠り所とは何ですか」。尊者が答えた。「十八界(認識するすべてのもの)の空がそれだ」と。マノラタはこれを聞いて納得した。

 第二十二祖、摩拏羅尊者、婆修盤頭に問ふて曰く、何物か即ち是れ諸佛の菩提なるや。尊者曰く、心の本性即ち是れなり。師又曰く、如何なるか是れ心の本性。尊者曰く、十八界空是れなり。師聞て開悟す。(本則及び現代語訳)


 マノラタ尊者は那提国常自在王の子。三十歳で婆修祖師に出逢う。婆修盤頭尊者は布教のために那提国にきた。常自在王に二人の子がいた。一人は摩訶羅といい、もう一人は摩拏羅といった。王は婆修盤頭尊者に質問した。王舎城とこの地では風土の違いがありますか」。尊者が言った、「彼の地には三人の仏が現れて、この国は二人の指導者がいる」。王が尋ねた、「二人の指導者とは誰ですか」。尊者が答えた、「佛は予言を与えた。第二の五百年に一人の神力を具えた大士が、出家して仏の正法を継承すると。それは王の二番目の子摩拏羅がそれであり、私は徳薄いが、ありがたくもその一人です」。王が言った。「貴方の言葉がまことならば私はこの子を出家させて仏弟子とします」。尊者が言った。「王よ、それは善い。仏の予言に適っている」。直ちに戒法を授けて出家者となった。それ以来、婆修盤頭に仕えた。有る時質問した、「仏の覚りとは何ですか」。そこで尊者が答えた。「生命の拠り所がそれだ」と。(機縁現代語訳)

  師は那提国常自在王の子也。年三十にして婆修祖師に遇ふ。婆修盤頭行化して那提国に到る。彼の王常自在と名づくるに、二子有り。一は摩訶羅と名け、次は摩拏羅と名く。王尊者に問うて曰く、羅閲の土風此れと何んの異りかある。尊者曰く、彼の土に曽て三佛出世す。今王の国に二師有りて化導す。曰く、二師とは誰ぞ。尊者曰く、佛記せり、>第二の五百年に一の神力大士有り、出家して聖を継ぐ。即ち王の次子、摩拏羅是れ其の一也。吾れ徳薄しと雖も敢て其の一に当たる。王曰く、誠に尊者の言ふ所の如きならば、当に此子を捨てて沙門と作すべし。尊者曰く、善哉大王よ、能く佛旨に遵ふ。即ち受具を与ふ。それよりこのかた婆修盤頭に給士す。有時問て曰く、何物か是れ諸佛の菩提なるや。尊者曰く、心の本性即ち是也。(機縁現代語訳)

  註記―摩拏羅 Manoratha漢訳名・・心願 430~510頃『付法蔵因縁伝』には「智慧も超え勝れ、欲少なくして足るを知り、苦行を勤め修め、言辞も要ず妙にして衆の心を悦可せしめ、善能く三蔵の義に通達して、南天竺に於いて大なる饒益を起せり」とあるが、詳しい伝は記載されていない。弟子に夜闍があったことが述べられる。伝光録の記述は『景徳伝灯録』とほぼ同じ。また玄奘三蔵の『大唐西域記』及び真諦訳の『婆数槃豆法師伝』にも記載されている。那提国―所在不明。唐土で創作された架空の場所か。常自在王―不詳。十八界―(眼・耳・鼻・舌・身・意の六根と、 その対象となる色・声・香・味・触・法の六境と、六根が六境を認識する眼識・耳識・鼻識・ 舌識・身識・意識の六識のこと。十八境界。
  
 まことに仏道修行の最初に問うべきは、「道とは何か」ということである。だからここでは「道とは何か」と質問したのだ。大体今の修行者は、先入観を捨てて、謙虚に道とは何かと問わない。師匠に対しても初心に帰って教えを乞うことがない。本当の道心があるならば、そんなことは考えられない。最初に問うべきは「仏とは何か」であり、次に問うべきは「「仏の道とは何か」でなければならない。だから、この質問がなされたのだ。これに対して婆修盤頭尊者は「生命の拠り所がそれだ」と答えた。マノラタは疑心がなく、先入観もないので直ちに質問した。「生命の拠り所とは何ですか」。これに対して尊者は「自分の現在生きている世界(十八界)がそれだと答えた。マノラタはそれを聞いて納得した。
 そもそも仏とは「自己の生命の拠り所」を言う。それは理解しようとして理解できず、直視しようとして直視できない。だからこの上ない最高の道なのだ。生命の拠り所には決まった形もなく、起点もない。大体佛といい、道という物は、これは一応の名前に過ぎない。仏とは何かを覚る事でなく、道も修行して得られるものでない、生命も覚知する物でない。この生命とは見る自分もなく、視られる世界もない。だから自身の起点も存在しない。そこで十八界が空であるといった。これらを自他の区別としてはならない。自分の本心と決めてられない。諸仏とは決まったものはなく、仏道として修行すべきものがない。さらに言うならば、見たり聞いたり覚知する事は、その足跡が現れないし、見られたり聞かれたりする世界に決まったものはない。三平義忠の詩に「是れ見聞に即し、見聞に非ず。更に声色の君に呈すべきなし。此の中若し了じて全く無事ならば、体用何ぞ妨げん、分と不分と」あるが、まことに音はドレミハァの違いで考えてはならず、色彩は青黄赤白の区別をしてはならない。見る事は目に入る光の縁と考えてはならず、聞くことは耳の働きでもない。私たち人間は見るものと見られるもの、聞くものと聞かれるものという対立関係で捉えられない。もし見るものと見られるものがあり、聞くものと聞かれるものがあれば、それは音にも色彩にも確かではない。なぜならば、もし見るもの見られるもの、聞くもの聞かれるものという対立の世界ならば、どうして音が耳に入り、色彩を目にできようか。だから空が空と一緒になり、水が水と一緒になるのと同じでないならば、聞く事も見る事もできない。そうでないので目は映像に答え、耳は音声に反応し、一つになって別ものでない。混じりあい、その跡かたが知れない。だから天地を響かすほどの音声も、四センチ四方の小さな耳に聞こえる。どうして極大が小さなものと同じでないだろうか。四センチ四方の目が広大な世界を照らしている。ちっぽけなものが大きなものと一緒でないと言えるのか。また目と映像が同じであり、耳と音声が同じでない事はない。これを知ってこのように了解する。この生命の働きには区切りとか行き止まりがない。本来目に反応するものはなく、映像そのものが存しない。この六根、六境、六識という三種の区分もみな決まったものがあるのではない。だからこの世界から言うならば、音声ということも可能だし、目の働きという事も可能、それを認識するのも可能といえる。「どれでもいいけれど、どれでもダメだ。どっちでもみんな引き受けよう」。 ほんの僅かも外から来ないし、毛ほどの隙間もない。だから音声というときは聞く者と説く者の音声の中に弁え、映像と言えば、見るもの見られるものの中で整えられる。それ以外のことはない。それなのに君たちはこの道理を知らないで、有る者は、音声や映像は人間が勝手に作り出した虚構だから、これは払い落とさねばならぬ。生命の働きは常に一定していて、変化しないと考えているのは、大笑いも甚だしい。この世界は何物も変化せず、変化しないことがない。実物も実物ならざる物もない。ここがしっかりと抑えられていないと、ただ音声映像に暗いだけでなく、視覚聴覚にも至らない。だから目を丸くして見ようとし、耳を塞いで聞かないようにするのは、これなどは縄がないのに勝手に縛られ、どこにもない穴に勝手にはまり込んでゆく。それは洞山禅師の指摘する情塵漏になってしまう。だからしっかりと修行を続けて、徹底して確実な納得を得ることができるし、頂上に至ってもこだわりがない。いつものように拙い詩偈でまとめとしたい。きいてくれるかな。(機縁現代語訳)

   語註―宮商角徴羽―
五声は、中国、日本の音楽で使われる階名。五音ともいう。宮、商、角 徴 羽の五つ。音の高低によって並べると、五音音階ができる。西洋音楽の階名で、宮をドとすると、商はレ、角はミ、徴はソ、羽はラに相当する。後に変宮(宮の低)と変徴(徴の低半音)が加えられ、七声または七音となった。変宮と変徴はシとファに相当する。宮・商・角・変徴・徴・羽・変宮で、七音音階を形成する。方寸―ほうすん一寸四方。ごくわずかな広さをいう。「方寸の地」 恁麼ーインモー主に禅門で使われた「どんな」「いかなる」の意味の話。繊塵ーせんじん、 細かいちり。小さなほこり。毫末ーごうまつ 《毛の先の意》ごくわずかなこと。三滲漏ーさんじんろう洞山良价の修行僧の接化法の一。『末法の時代、人乾慧多し、若し真偽を辨驗するを要せば、三種の滲漏あり。一には見滲漏,謂く機、位を離れずして、毒海に墮在す。二には情滲漏,謂く向背に滯在し、見處偏枯なり。三には語滲漏、謂く妙を究めて宗を失ふ,機、終始に昧く、學者濁智に流轉す」とされる。舜若多神―梵語シューニヤター(suññatā)の訳、主空神を舜若多神と称する。

 実に学道の最初にとふべきは。即はちこの問なり。いはゆる菩提といふは道なり。ゆへにこの問の意は。如何是道ととふなり。今人虚心にして法をとふことなく。初心にして師に参ぜざるゆへにこの問なし。もし真実の道念あらん時、しかあるべからず。先づ問べし、如何是佛と。次に問べし、如何是佛道と。ゆへにいまこの問あり。しかるに示して曰く、心の本性是なりと。なをこころざし二つなく。毫髮のたくはえなきによりて。すなはち問ふ、如何是心の本性と。答て曰く、十八界空是なりと。時にすなはち開悟す。夫れ佛といふは即心の本性なり。本性知不得見不得。まさにこれ無上道なり。然れば心にかたちなく立処なし。なにいはんや佛といひ道といふ、みなこれしひてなづけ来るゆへに、佛も覚知にあらず、道も所修にあらず、心も識知にあらず。この田地境なく根なく、識いづれのところにか立せん。ゆへにいふ十八界空是と。然れば這箇の田地心境と論ずること勿れ。識知とわきまへることなかれ。ここにいたりて諸佛卒にかたちをあらはさず、妙道また修持をもちひず。然も見聞覚知はたとひこれ蹤跡なしといへども、声色動搖また界畔あるべきにあらず。ゆへにいふすなはち是即見聞非見聞。更声色無可呈君。此中若了全無事。体用何妨。分不分と実にこれ声は宮商角徴の解をなすことなかれ。色は青黄赤白の会をなすことなかれ。見は眼光の緣とすることなかれ。聞は耳根なりとおもふことなかれ。人人すべて眼の色に対するなく、耳の声に待するなし。若耳の声に類するあり、眼色を緣するありといはば。これ声にもあきらかならず、まためにもくらし。ゆへいかんとなれば。もし所対の法ありといひ、所待の物ありといはば、声あに耳にいり、色あにまなこにみんや。ゆへに空の空に合し、水の水に合するがことくならずんば、きくことも断ヘず、みることもたへじ。爾らざるゆへにまなこは色に通じ、耳は声に通ず。和融してへだてなく、混合して蹤跡なし。かくのごとくなるゆへに、たとひ天をひびかし、地を響かす声なりといへども、わづかに方寸の耳にいる。あに極大同小にあらずや。わづかに方寸のまなこをもて尽界をてらす、あに極小同大にあらずや、あにまなこの色なるにあらずや。また声の耳なるにあらずや。かくのごとく知てかくのごとくわきまふる、此心界畔辺表なし、ゆへにまなこもとよりうることなし、色もわかつことをゑず。この三科これみな空なるにあらずや。ゆへにこの田地にいたる時、声ととくもゑたり、眼と説くもゑたり。識ととくもゑたり。恁麼も得たり、不恁麼も得たり。恁麼不恁麼総にゑたり。纖塵の外より来るなく、毫末のへだてもてゆくなし、ゆへに声ととくときは聴説声中に弁別し。色ととく時は能所色中に安排す。更に分外底なし。然るを諸人この道理に達せず、あるひはおもはく、声色は妄りに立する虚仮なり、すべからくはらひはらふべし。本心は本来常住なり、さらに変動すべからずと。もつとも笑ふべし。このところさらになにものか変不変あらん。なにものか実不実あらん。故にこの事をあきらめずんば、ただ声色にくらきのみにあらず、また見聞にも達せず。故に眼を挙して見ざらんと思ひ、耳をふさげて聞ざらんとす。是れすなはち無繩自縛し、穴なきにまたおち将て行く。ゆへに情塵漏まぬかれがたし。然れば子細に参到して、もし底に徹して見得明白ならば、頂に徹しても到ること亦た無礙むらん。又卑語あり。此の因緣を指説せんと思ふ、聞かんと要すや麼 

    虚空の神様は内外の区切りがない。
    見聞きするもの、音声も色彩も皆な虚空でないものはない。

    舜若多神内外に非ず。 見聞の声色倶に虚空なり。
                 舜若多神非内外 見聞声色倶虚空(偈頌現代語訳)

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