第十六章
第十六祖。ラーフラバドラ(羅睺羅多尊者)がカナダイバ(迦那提婆)尊者にお仕えしていた時、過去からの因縁を聞いて覚るところがあった。
第十六祖。羅睺羅多尊者。迦那提婆に執侍し、宿因を聞て感悟す。(本則並びに現代語訳)
羅睺羅多はカビラワストゥーの人。ここでいう宿因とは、迦那提婆尊者が法を伝えてカビラワストゥーにきたとき、梵摩淨徳という長者がいた。ある時庭の樹に大きな茸が生えた。茸はことのほか美味だった。長者は次男羅睺羅多とだけこれをとって食べた。採り終えてしばらくすると同じように生えてくる。この二人以外の親族には誰もそれを見つける事ができなかった。このころ迦那提婆尊者がその前世の因縁を知って、その家に行った。長者が何のための訪問かを尋ねた。尊者は答えた。「貴方の家では以前ある仏弟子に供養をした。この僧はまだ修行が未熟だったので、ただ信施を無駄食いしたので、そのために茸に生まれ変わり、貴方たちの供養に報いた。ところが貴方と息子さんは供養し続けたので、茸を得ることができたが、他の親族は違った」と。尊者は改めて質問した。「貴方は何歳ですか」。「七十九歳です」と答えた。
ここで尊者は詩を作って説明した。
仏の信者となって仏の法が理解できないまま、僧に布施を続けていて、
貴方が八十一歳になると、この樹は茸をつけなくなる。
長者はその詩を聞いて、ますます信心を深め、尊者に言った。「私はもう老齢なので、貴方様にお仕えできません。ですがここにいる次男をあなたの弟子として出家させたい」と願い出た。尊者は「むかし佛世尊は千年後に佛法を広める大教主が出生する。それがこの子だ」と予言された。今その子供に遭遇した。これこそ佛縁の成就です」と。直ちに剃髪得度して第十六世となった。
師は迦毘羅国の人也。所謂宿因といふは。迦那提婆尊者受度行化し迦毘羅国に到る。彼れに長者有り。梵摩浄徳と曰ふ、一日園樹に大耳を生ず。菌味の甚だ美なる如し。唯だ長者と第二子羅睺羅多のみ、取てこれを食す。取り已て隨て長ず。尽くれば復た生ず、自余の親屬皆能く見る能はず。時に迦那提婆尊者、其の宿因を知って、遂に其家に至る。長者其の故を問ふ。尊者曰く、汝が家昔曽て一比丘を供養す。彼の比丘然るに道眼未だ明ならず、虚を以て信施を霑す故に報じて木菌となる。惟ふに汝と子、精誠に供養し以てこれを亨くるを得たり。余は即ち否なり。又問ふ。長者の年多少ぞ。答へて曰く、七十有九なり。尊者乃て偈を説て曰く。入道して理に通ぜず、復た身還て信施す。汝年八十一にして、此の樹耳を生ぜず。長者偈を聞て、弥々歎伏を加ふ。且つ曰く、弟子衰老なり、師に事ふる能はず、願くは次子を捨て、師に随て出家せん。尊者曰く、昔如来此の子を記す、当に第二の五百年に大教主たるべしと。今これに相ひ遇ふ、蓋し宿因に符ふ。即ち剃髮して第十六祖に列す。(機縁並びに現代語訳)
註記―羅睺羅跋陀羅 Rāhulabhadra また羅睺羅―西暦220頃~300頃。提婆の付法の弟子、龍樹にも従学した様子。諸法皆空の理を証し、多数の僧徒を化道す。ターラナータ印度仏教史によるに、首陀羅族であり、容姿と財力と能力とは最も勝れ、那爛陀にて出家し、提婆の弟子となると記す。著作は西蔵経中に、菩薩行境清浄経義略摂のある外、梵文の法華経偈讃二十頌・歎般若偈二十頌等あり。仏祖統記五(大正藏49)には迦那提婆が迦毘羅国の長者、梵摩浄徳の家に赴き、長者の家の園樹が耳を生じて茸の如く、美味なるをもって長者と第二子の羅睺羅多が之を食した折に、その因縁を説いて弟子となると述べられる。この機縁は『宝林伝』伽那提婆章にあるが、『景徳伝灯録』伽那提婆章では、ほとんど『伝光録』に近い形になっている。
むかしから今に至るまで仏道を修行して仏祖にも恥じず、他人にも愧じないで、修行者仲間に入り、仏弟子の矜持を持たず、いたずらに信者の布施を受けてならないことを戒めとするために、このエピソードを引用してきた。だからこれを愧じのよりどころとせねばならない。出家者として家を捨て道に入ったのだから、住む場所も自分のものでなく、食事も決められた作法に従う。衣服も自分の好みではない。一滴の水、一本の野菜でも自分の所有物でない。なぜならば、私たちは皆なこの国土に育てられている。この世界、この国土はすべて公のものでない物はない。家に居れば親に仕え、社会に出れば社会に奉仕しなければならない。これは天地一切の表裏ない、恵みに守られている。それを中途半端な思いで、「仏道修行のためだ」と、理屈をつけて、仕えるべき両親にも仕えず、奉仕すべき社会にも奉仕しない。それではどこで両親に産んでいただいた恩に答え、暮させている天地社会の恩に答えることができるのか。仏道に入っていても仏道の眼がないなら、それは国賊ともいうべき存在だ。私たちは出家得度の時「世俗の恩愛を捨てて無為の世界に入る」という誓願を立てたではないか。楽しみも苦しみも、それを超えた世界さえも乗り越え、出家の時以後、父母も礼拝せず、社会の権威にも頭を下げないという、仏弟子の姿に留まり、清らかな仏の家に身を置いている。たとえ出家以前の妻子が施しをしてくれても、出家以前とは意味合いが異なる。それはすべて在家信者の布施以外ではない。古人も言っている。「仏道の眼が明らかでなければ一粒の米さえ、噛み砕くことができない」と。仏道の眼が清く明らかならば形のない佛鉢を持ち出して、大宇宙を食物として、昼と夜との食事としても、信者の施しに劣らない。それなのに自分の修行力が足りているか否かを顧みないで、漫然と僧となり、人の信施を当然として、供養が少なければ、知り合いに要求するのは心得違いだ。考えてみるべきだ、君が出家して故郷を離れたときには、米粒一つの蓄えも、わずかな衣服もまともでなく、ただ一人道のために進んだ。それは仏道の眼を見開くために我が身を任せ、法のために命を投げ出したのだ。その発心のはじめには、他人の評価を衣食に変える事はなかったはずだ。これはだれでも同じことで、問題以前だ。だから各々発心の初めに立ち返り、何が正しく、何が誤りなのかを考えるべきだ。だから「終わりを謙虚にするのは、最初の発心より難しい」との教えがあるではないか。つまり初めの発心を忘れなければ、だれでも道に適った人となるが、そうでなければ僧となり尼僧となっても皆ただの穀潰しとなってしまう。
ここで学ぶべきだ。先ほどの仏弟子は仏道の眼が明らかでなかったが、修行を諦めなかったので茸となって信施に報いた。ところが心得違いの現今の出家者は、死んで地獄に落ちても閻魔大王が許してくれない。現在、無反省で食べているご飯やお粥は熱湯となり火の玉となって、これを口にした途端に身も心も焼けただれてしまうだろう。
雲峯悦禪師は「見ずや祖師の道へることを、道に入って理に通じざれば、復た身をもって信施を還さん。此れは是れ決定底の事にして終ひに虚しからず。諸上座よ。光陰惜むべし時は人を待たず。一朝眼光落地するを待つこと莫れ。緇田一簣の功無くんば、銕圍百刑の痛に陷ひる。道はずと言ふこと莫れ。」と述べている。
君たちは幸いにも佛世尊の正しい教えに遇っている。これは町の中で虎に出遇うよりも稀だ、三千年に一度花の咲く優曇華に遇うよりも稀だ。細かい用心をし、確実な学びを通して、仏道の眼を清く明らかにしなくてはならない。しっかりと学ぼう、今日話した物語は、これを他人事、昔の話と考えてはならない。つまり前世の出家者が、今ここで茸となり、茸の自分が前世で出家者だったと知らない。出家者の時も自分があらゆるものの一部としてあるとは知らない。私たちは頭で考える事ができるので、痛いとか痒いとか感じるが、あの茸と大した変わりがない。なぜならば茸が君のことを知らないのは、どうしてこれが分からずに勝手に動く事でないと言えるのか。君が茸を知らないのも全く同じだ。ここには確かに思いのあるもの、思いのないものという違いがある。自分の住む世界と自分自身との違いもある。それでは聞こう。もし自己とは何かと突き詰めたとき、何が思いあるもの、何が思いなきものと決めつけられようか。昔と今の話でなく、見るもの見られるもの、その主体と分けるものでもない。迷いを断つもの、断たれるもの、自分が行ない、他人が行うものでもない。殊の外しっかりと修行しつくして、身も心も放ち忘れてみたらよい。その時はただ何となく形だけの僧となり、自身の思いの中の出家者でないことが理解できる。雨風の被害を逃れても、火事の被害にあわないとも限らない。世間の煩いを捨てても、佛菩薩の衆生済度の苦労は離れられない。どうしてそんな事が分からないのか。世間の人は世間の中で自他の行いに振り回され、あっちこっちと走り回る。人間ではなく、風になびく綿埃と同じだ。社会で出世したり、こぼれ落ちたりして、しっかりと大地を踏みしめず、心の坐りどころがない。ただ一生をごまかし通すだけでない。生まれ変わり、死に変わりして何代もむなしい生涯を送る事になる。私たちは昔から今に至るまで、誰も誤った仮の人生を送る事がなく、自分と他人という区別のない世界を生きている。それが分からないので、吹けば飛ぶような綿埃となっている。いまこそそうしたいい加減さを清算しなければ、いつになっても変わらない。この一段の物語を締めくくるため、拙い詩を作った。聞いてくれるかな。
古今学道の人無慚無愧にして、徒に清流にまじはり、無知無分にして、空しく信施を受るを諫るに、多く此の因緣を引来る。実にこれによりてはづべし、比丘として家を捨て道にいりぬ、居処も是れ吾地にあらず。食法全く是れ我物にあらず。衣服も全く我がわざにあらず。一滴水・一莖草すべて是れ受用すべきものにあらず。ゆへいかんとなれば、汝諸人悉皆国土にはらまる。一天下・国土上。悉く是れ国王の水土にあらずといふことなし。然るに家にあれば親につかへ、国に侍べれば君につかへまつる。如是なる時、天地加護ありて、自ら陰陽のめぐみをうく。然もなまじひに佛法をねがはんと号して、仕ふべき親にも仕へず。つかへまつべるき君にもつかへまつらず。なにをもてか父母所生の恩を報じ。なにをもてか国王水土の恩を報ぜんや。道に入りて道眼なからん。恰かも国賊といひつべし。旣に棄恩入無為。三界を出といふ。然も出家してより後、父母をも礼せず、国王をも礼せず。已に形を佛子にかり、身を清流にやどす。たとひ妻子の施す所を受と云とも、全く是れ世俗にありてうけんには同ふせず。悉く是れ信施にあらずといふことなし。然も古人曰く。道眼未だ明かならずんば、一粒をも咬破しがたし。もし道眼清明なる時。たとひ虚空を鉢にして。須弥を飯として、日日夜夜受来るとも、是れ信施にまくることあらず。然るに道眼の具足と不具足と顧りみず、猥りに僧となりては人の供養を受来らんとおもひ。供養すくなければ徒に人倫にのぞむ。をもふべし、汝等家をすて郷をはなれし時、一粒の蓄へなく、一糸をもかけず。孤露にして遊行す。只道眼の為に身をまかせ、法の為に命をすつべし。あに最初発心、徒に名利の為、衣食の為にせんや。然れば人人問ふに及ばず。但自己最初の発心を顧みて、自ら是処をかへりみ。又不是処をかへりみよ。故にいふ、終りをつつしむこと始の如くすることかたしと。実に初心の如くせんに、誰か道人にならざらん。是によりてみな僧となり、比丘尼となるといへども。徒に国賊となるのみなり。何を以てか、むかしの比丘は道眼未明といへども。修行退転なきによりて、是を報ずる故に木菌ともなれり。今の比丘の如きんば、一生已にをはらん時、閻老汝を許すことあたはず。今の粥飯は或は鉄湯となり、あるひは鉄丸となりて、是を呑ん時身心紅爛しもてゆくことあらん。然も雲峯悦禪師曰。
見かずや祖師道ふことを、入道して理に通ぜず。復身は信施を還す。此れは是れ決定底の事。虚しからず。諸上座光陰惜むべからず、時は人を待たず。朝に眼光落地するを待つこと莫れ。緇田一箕の功無ければ。鉄囲百刑之痛に陥つ。不道はずと言ふこと莫れと。
諸人者幸に辱く如来の正法輪にあへり。市中に虎にあはんよりも稀なり。優曇華一現するよりもまれなるへし。子細に用心し。子細に参学して。須く道眼清明なるべし。見ずや今日の因緣を。有情といひ無情といひ、依報とわかち正報とわかつことなかれ。まさに前生の比丘、今日木菌となれり。木菌の時も我これ比丘となれりとしらず。比丘の時も我是萬法とあらはれたりとしらず。然れば今有情にしてすくなく覚知あり、いささか痛痒を弁ずといへども。木菌と殊なることなし。ゆへいかんとなれば。木菌の汝をしらざること、あに是無明にあらざらんや。汝が木菌をしらざることも、全くもてをなじ。是によりて有情無情のへだてあり、依報正報のしなあり。若し自己を明めん時、何をか有情といひ、なにをか無情といはん。古来今にあらず、根境識にあらず。能断なく所断なく、自作なく他作なく。大に子細に参徹して、身心脱落して見るべし。徒に僧形となるに誇り、乱りに塵家を出しに止まること勿れ。設ひ水難をのがるといへども。火難にわづらひぬべし。たとひ塵労をやぶり去るとも、佛にありても又免れがたし。何に況や如是ならざらん。人の物にしたがひ他に迷ふ。軽毛のごとく浮塵に同くして。東西に馳走し、朝野に昇降して、足実地をふまず、心実処に到らざらん類。只一生を賺過するのみに非ず。亦累世を虚く過しもてゆかん。しらずや昔しより今に及ぶまで、曽て相あやまらず。曽てへだてなきことを。汝未知有故に。徒に浮塵となる。今日若し尽却せずんば。何れの時をかまたん。適来の因緣をのべんとするに、卑語あり。聞かんと要す麼。(提唱現代語訳並びに提唱)
語註―緇田一簣の功 田んぼに一杯のモッコの土を運び入れて完成させる。雲峰文悦ー(998-1062)臨済下八世 北宋時代 賺過―「れんか」―だまし過ごす。
これは残念なことだ。仏道の眼が清く明るくならない。
自分と他人の区別をつけて、すべてを他人事としているのは。
惜む哉、道眼、いまだ清白ならず。自に惑ひ、他に酬ひて報、未だ休せざることを。
惜哉道眼不清白 惑自酬他報未休(偈頌並びに現代語訳)
第十六章
第十六祖。ラーフラバドラ(羅睺羅多尊者)がカナダイバ(迦那提婆)尊者にお仕えしていた時、過去からの因縁を聞いて覚るところがあった。
第十六祖。羅睺羅多尊者。迦那提婆に執侍し、宿因を聞て感悟す。(本則並びに現代語訳)
羅睺羅多はカビラワストゥーの人。ここでいう宿因とは、迦那提婆尊者が法を伝えてカビラワストゥーにきたとき、梵摩淨徳という長者がいた。ある時庭の樹に大きな茸が生えた。茸はことのほか美味だった。長者は次男羅睺羅多とだけこれをとって食べた。採り終えてしばらくすると同じように生えてくる。この二人以外の親族には誰もそれを見つける事ができなかった。このころ迦那提婆尊者がその前世の因縁を知って、その家に行った。長者が何のための訪問かを尋ねた。尊者は答えた。「貴方の家では以前ある仏弟子に供養をした。この僧はまだ修行が未熟だったので、ただ信施を無駄食いしたので、そのために茸に生まれ変わり、貴方たちの供養に報いた。ところが貴方と息子さんは供養し続けたので、茸を得ることができたが、他の親族は違った」と。尊者は改めて質問した。「貴方は何歳ですか」。「七十九歳です」と答えた。
ここで尊者は詩を作って説明した。
仏の信者となって仏の法が理解できないまま、僧に布施を続けていて、
貴方が八十一歳になると、この樹は茸をつけなくなる。
長者はその詩を聞いて、ますます信心を深め、尊者に言った。「私はもう老齢なので、貴方様にお仕えできません。ですがここにいる次男をあなたの弟子として出家させたい」と願い出た。尊者は「むかし佛世尊は千年後に佛法を広める大教主が出生する。それがこの子だ」と予言された。今その子供に遭遇した。これこそ佛縁の成就です」と。直ちに剃髪得度して第十六世となった。
師は迦毘羅国の人也。所謂宿因といふは。迦那提婆尊者受度行化し迦毘羅国に到る。彼れに長者有り。梵摩浄徳と曰ふ、一日園樹に大耳を生ず。菌味の甚だ美なる如し。唯だ長者と第二子羅睺羅多のみ、取てこれを食す。取り已て隨て長ず。尽くれば復た生ず、自余の親屬皆能く見る能はず。時に迦那提婆尊者、其の宿因を知って、遂に其家に至る。長者其の故を問ふ。尊者曰く、汝が家昔曽て一比丘を供養す。彼の比丘然るに道眼未だ明ならず、虚を以て信施を霑す故に報じて木菌となる。惟ふに汝と子、精誠に供養し以てこれを亨くるを得たり。余は即ち否なり。又問ふ。長者の年多少ぞ。答へて曰く、七十有九なり。尊者乃て偈を説て曰く。入道して理に通ぜず、復た身還て信施す。汝年八十一にして、此の樹耳を生ぜず。長者偈を聞て、弥々歎伏を加ふ。且つ曰く、弟子衰老なり、師に事ふる能はず、願くは次子を捨て、師に随て出家せん。尊者曰く、昔如来此の子を記す、当に第二の五百年に大教主たるべしと。今これに相ひ遇ふ、蓋し宿因に符ふ。即ち剃髮して第十六祖に列す。(機縁並びに現代語訳)
註記―羅睺羅跋陀羅Rāhulabhadraまた羅睺羅―西暦二二〇頃~三〇〇頃。提婆の付法の弟子、龍樹にも従学した様子。諸法皆空の理を証し、多数の僧徒を化道す。ターラナータ印度仏教史によるに、首陀羅族であり、容姿と財力と能力とは最も勝れ、那爛陀にて出家し、提婆の弟子となると記す。著作は西蔵経中に、菩薩行境清浄経義略摂のある外、梵文の法華経偈讃二十頌・歎般若偈二十頌等あり。仏祖統記五(大正藏49)には迦那提婆が迦毘羅国の長者、梵摩浄徳の家に赴き、長者の家の園樹が耳を生じて茸の如く、美味なるをもって長者と第二子の羅睺羅多が之を食した折に、その因縁を説いて弟子となると述べられる。この機縁は『宝林伝』伽那提婆章にあるが、『景徳伝灯録』伽那提婆章では、ほとんど『伝光録』に近い形になっている。
むかしから今に至るまで仏道を修行して仏祖にも恥じず、他人にも愧じないで、修行者仲間に入り、仏弟子の矜持を持たず、いたずらに信者の布施を受けてならないことを戒めとするために、このエピソードを引用してきた。だからこれを愧じのよりどころとせねばならない。出家者として家を捨て道に入ったのだから、住む場所も自分のものでなく、食事も決められた作法に従う。衣服も自分の好みではない。一滴の水、一本の野菜でも自分の所有物でない。なぜならば、私たちは皆なこの国土に育てられている。この世界、この国土はすべて公のものでない物はない。家に居れば親に仕え、社会に出れば社会に奉仕しなければならない。これは天地一切の表裏ない、恵みに守られている。それを中途半端な思いで、「仏道修行のためだ」と、理屈をつけて、仕えるべき両親にも仕えず、奉仕すべき社会にも奉仕しない。それではどこで両親に産んでいただいた恩に答え、暮させている天地社会の恩に答えることができるのか。仏道に入っていても仏道の眼がないなら、それは国賊ともいうべき存在だ。私たちは出家得度の時「世俗の恩愛を捨てて無為の世界に入る」という誓願を立てたではないか。楽しみも苦しみも、それを超えた世界さえも乗り越え、出家の時以後、父母も礼拝せず、社会の権威にも頭を下げないという、仏弟子の姿に留まり、清らかな仏の家に身を置いている。たとえ出家以前の妻子が施しをしてくれても、出家以前とは意味合いが異なる。それはすべて在家信者の布施以外ではない。古人も言っている。「仏道の眼が明らかでなければ一粒の米さえ、噛み砕くことができない」と。仏道の眼が清く明らかならば形のない佛鉢を持ち出して、大宇宙を食物として、昼と夜との食事としても、信者の施しに劣らない。それなのに自分の修行力が足りているか否かを顧みないで、漫然と僧となり、人の信施を当然として、供養が少なければ、知り合いに要求するのは心得違いだ。考えてみるべきだ、君が出家して故郷を離れたときには、米粒一つの蓄えも、わずかな衣服もまともでなく、ただ一人道のために進んだ。それは仏道の眼を見開くために我が身を任せ、法のために命を投げ出したのだ。その発心のはじめには、他人の評価を衣食に変える事はなかったはずだ。これはだれでも同じことで、問題以前だ。だから各々発心の初めに立ち返り、何が正しく、何が誤りなのかを考えるべきだ。だから「終わりを謙虚にするのは、最初の発心より難しい」との教えがあるではないか。つまり初めの発心を忘れなければ、だれでも道に適った人となるが、そうでなければ僧となり尼僧となっても皆ただの穀潰しとなってしまう。
ここで学ぶべきだ。先ほどの仏弟子は仏道の眼が明らかでなかったが、修行を諦めなかったので茸となって信施に報いた。ところが心得違いの現今の出家者は、死んで地獄に落ちても閻魔大王が許してくれない。現在、無反省で食べているご飯やお粥は熱湯となり火の玉となって、これを口にした途端に身も心も焼けただれてしまうだろう。
雲峯悦禪師は「見ずや祖師の道へることを、道に入って理に通じざれば、復た身をもって信施を還さん。此れは是れ決定底の事にして終ひに虚しからず。諸上座よ。光陰惜むべし時は人を待たず。一朝眼光落地するを待つこと莫れ。緇田一簣の功無くんば、銕圍百刑の痛に陷ひる。道はずと言ふこと莫れ。」と述べている。
君たちは幸いにも佛世尊の正しい教えに遇っている。これは町の中で虎に出遇うよりも稀だ、三千年に一度花の咲く優曇華に遇うよりも稀だ。細かい用心をし、確実な学びを通して、仏道の眼を清く明らかにしなくてはならない。しっかりと学ぼう、今日話した物語は、これを他人事、昔の話と考えてはならない。つまり前世の出家者が、今ここで茸となり、茸の自分が前世で出家者だったと知らない。出家者の時も自分があらゆるものの一部としてあるとは知らない。私たちは頭で考える事ができるので、痛いとか痒いとか感じるが、あの茸と大した変わりがない。なぜならば茸が君のことを知らないのは、どうしてこれが分からずに勝手に動く事でないと言えるのか。君が茸を知らないのも全く同じだ。ここには確かに思いのあるもの、思いのないものという違いがある。自分の住む世界と自分自身との違いもある。それでは聞こう。もし自己とは何かと突き詰めたとき、何が思いあるもの、何が思いなきものと決めつけられようか。昔と今の話でなく、見るもの見られるもの、その主体と分けるものでもない。迷いを断つもの、断たれるもの、自分が行ない、他人が行うものでもない。殊の外しっかりと修行しつくして、身も心も放ち忘れてみたらよい。その時はただ何となく形だけの僧となり、自身の思いの中の出家者でないことが理解できる。雨風の被害を逃れても、火事の被害にあわないとも限らない。世間の煩いを捨てても、佛菩薩の衆生済度の苦労は離れられない。どうしてそんな事が分からないのか。世間の人は世間の中で自他の行いに振り回され、あっちこっちと走り回る。人間ではなく、風になびく綿埃と同じだ。社会で出世したり、こぼれ落ちたりして、しっかりと大地を踏みしめず、心の坐りどころがない。ただ一生をごまかし通すだけでない。生まれ変わり、死に変わりして何代もむなしい生涯を送る事になる。私たちは昔から今に至るまで、誰も誤った仮の人生を送る事がなく、自分と他人という区別のない世界を生きている。それが分からないので、吹けば飛ぶような綿埃となっている。いまこそそうしたいい加減さを清算しなければ、いつになっても変わらない。この一段の物語を締めくくるため、拙い詩を作った。聞いてくれるかな。
古今学道の人無慚無愧にして、徒に清流にまじはり、無知無分にして、空しく信施を受るを諫るに、多く此の因緣を引来る。実にこれによりてはづべし、比丘として家を捨て道にいりぬ、居処も是れ吾地にあらず。食法全く是れ我物にあらず。衣服も全く我がわざにあらず。一滴水・一莖草、すべて是れ受用すべきものにあらず。ゆへいかんとなれば、汝諸人悉皆国土にはらまる。一天下・国土上。悉く是れ国王の水土にあらずといふことなし。然るに家にあれば親につかへ、国に侍べれば君につかへまつる。如是なる時、天地加護ありて、自ら陰陽のめぐみをうく。然もなまじひに佛法をねがはんと号して、仕ふべき親にも仕へず。つかへまつべるき君にもつかへまつらず。なにをもてか父母所生の恩を報じ。なにをもてか国王水土の恩を報ぜんや。道に入りて道眼なからん。恰かも国賊といひつべし。旣に棄恩入無為。三界を出といふ。然も出家してより後、父母をも礼せず、国王をも礼せず。已に形を佛子にかり、身を清流にやどす。たとひ妻子の施す所を受と云とも、全く是れ世俗にありてうけんには同ふせず。悉く是れ信施にあらずといふことなし。然も古人曰く。道眼未だ明かならずんば、一粒をも咬破しがたし。もし道眼清明なる時。たとひ虚空を鉢にして。須弥を飯として、日日夜夜受来るとも、是れ信施にまくることあらず。然るに道眼の具足と不具足と顧りみず、猥りに僧となりては人の供養を受来らんとおもひ。供養すくなければ徒に人倫にのぞむ。をもふべし、汝等家をすて郷をはなれし時、一粒の蓄へなく、一糸をもかけず。孤露にして遊行す。只道眼の為に身をまかせ、法の為に命をすつべし。あに最初発心、徒に名利の為、衣食の為にせんや。然れば人人問ふに及ばず。但自己最初の発心を顧みて、自ら是処をかへりみ。又不是処をかへりみよ。故にいふ、終りをつつしむこと始の如くすることかたしと。実に初心の如くせんに、誰か道人にならざらん。是によりてみな僧となり、比丘尼となるといへども。徒に国賊となるのみなり。何を以てか、むかしの比丘は道眼未明といへども。修行退転なきによりて、是を報ずる故に木菌ともなれり。今の比丘の如きんば、一生已にをはらん時、閻老汝を許すことあたはず。今の粥飯は或は鉄湯となり、あるひは鉄丸となりて、是を呑ん時身心紅爛しもてゆくことあらん。然も雲峯悦禪師曰。
見かずや祖師道ふことを、入道して理に通ぜず。復身は信施を還す。此れは是れ決定底の事。終ひに虚しからず。諸上座光陰惜むべからず、時は人を待たず。朝に眼光落地するを待つこと莫れ。緇田一箕の功無ければ。鉄囲百刑之痛に陥つ。不道はずと言ふこと莫れと。
諸人者幸に辱く如来の正法輪にあへり。市中に虎にあはんよりも稀なり。優曇華一現するよりもまれなるへし。子細に用心し。子細に参学して。須く道眼清明なるべし。見ずや今日の因緣を。有情といひ無情といひ、依報とわかち正報とわかつことなかれ。まさに前生の比丘、今日木菌となれり。木菌の時も我これ比丘となれりとしらず。比丘の時も我是萬法とあらはれたりとしらず。然れば今有情にしてすくなく覚知あり、いささか痛痒を弁ずといへども。木菌と殊なることなし。ゆへいかんとなれば。木菌の汝をしらざること、あに是無明にあらざらんや。汝が木菌をしらざることも、全くもてをなじ。是によりて有情無情のへだてあり、依報正報のしなあり。若し自己を明めん時、何をか有情といひ、なにをか無情といはん。古来今にあらず、根境識にあらず。能断なく所断なく、自作なく他作なく。大に子細に参徹して、身心脱落して見るべし。徒に僧形となるに誇り、乱りに塵家を出しに止まること勿れ。設ひ水難をのがるといへども。火難にわづらひぬべし。たとひ塵労をやぶり去るとも、佛にありても又免れがたし。何に況や如是ならざらん。人の物にしたがひ他に迷ふ。軽毛のごとく浮塵に同くして。東西に馳走し、朝野に昇降して、足実地をふまず、心実処に到らざらん類。只一生を賺過するのみに非ず。亦累世を虚く過しもてゆかん。しらずや昔しより今に及ぶまで、曽て相あやまらず。曽てへだてなきことを。汝未知有故に。徒に浮塵となる。今日若し尽却せずんば。何れの時をかまたん。適来の因緣をのべんとするに、卑語あり。聞かんと要す麼。(提唱現代語訳並びに提唱)
語註―緇田一簣の功―田んぼに一杯のモッコの土を運び入れて完成させる。雲峰文悦(998-1062)
臨済下八世 北宋時代 賺過―「れんか」―だまし過ごす。
これは残念なことだ。仏道の眼が清く明るくならない。
自分と他人の区別をつけて、すべてを他人事としているのは。
惜哉道眼不清白 惑自酬他報未休(偈頌並びに現代語訳)
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