第十二章
第十二祖。馬鳴尊者が夜奢尊者に質問した。私は仏とは何かを知りたい。それはいったい何なのですか。夜奢尊者が答えた。もし君が仏とは何かを知りたいのなら、アタマで理解しようとしないことだ。馬鳴が言った。仏は何かと知らないならば、どうしてそれが正しいと決められますか。夜奢尊者が答えた。君は元々仏を知らないのだから、どうしてそれが正しくないと決められるか。馬鳴が言った。これはノコギリに例えての話ですか。夜奢が言った。これは木にも例えられる。それでは更に質問しよう。そもそもノコギリとは何を例えたのか。馬鳴が答えた。これでは師匠様と同じ世界を生きていることになります。そこでさらに質問します。その木とは何ですか。夜奢尊者が答えた。君は私に心を読まれてしまったな。この言葉を聞いて馬鳴は「何だそういうことか」と気が付いた。
第十二祖。馬鳴尊者、夜奢尊者に問て曰く、我れ佛を識らんとす、何物か即ち是なる。尊者曰く、佛を識らんと欲せば、識らざる者是れなり。師曰く、佛既に識らす、焉ぞ是れを知らんや。尊者曰く、既に佛を識らざれば、焉んぞ不是なるを知るらんや。師曰く、此れは是れ鋸の義なり。尊者曰く、彼れは是れ木の義なり。復問ふ、鋸の義とは何んぞや。師曰く、師と平出せり。又問ふ、木の義とは何んぞや。尊者曰く、汝、我に解せらる。師豁然として省悟す。(本則現代語訳)
註記―馬鳴(めみょう120頃~200頃)者、梵名はアシュヴァゴーシャ、Aśvaghoṣ 馬鳴菩薩と呼ばれ、大乗仏教の菩薩、養蚕の守護神と崇められる。伝は『付法蔵因縁伝』に詳しい。また後秦の鳩摩羅什三蔵が翻訳したとされる『馬鳴菩薩伝』に多く述べられる。仏陀の生涯を流麗な詩文で述べた『佛所行讃』=ブッダチャリタの作者であり、中インド華氏城(パータリプトラ)において、天賦の詩才をもって民衆を教化し、仏陀の弟子であるラッタパーラ(梵名 Rāṣṭrapāla、頼吒和羅〈らたわら〉)をモデルとした戯曲を作り演じたところ、多くの市民を教化し、皆それを聞いて無常を悟り、500人の王子や民衆が出家したので、王はついにこの戯曲を禁止したといわれる。ほかに『大荘厳論経』、『金剛針論』、『犍稚梵讃』なども彼の著作とされるが、その真偽については古来議論が続いている。有名な『大乗起信論』も馬鳴菩薩作とされるが、その思想内容が、馬鳴菩薩の時代より百年ほど後のものと考えられ、これは同名の別人とされている。クシャーン朝のカニシュカ王が華氏城を攻めた折、戦利品として、現地に伝わる佛鉢と馬鳴菩薩をガンダーラに連れ去ったという。馬鳴菩薩は以後ガンダーラで活躍する。その説法の感化力が著しいだけでなく、人はもとより、馬もその説法を聞いて、法悦の嘶きをしたので馬鳴といわれる。宗門では阿那菩底と呼ばれるが、古い呼称は馬鳴尊者が正しい。出身地をバラナシ―とする説は中国の『宝林伝』が最初。以後の伝記は大半これに従っている。この章は『正法眼蔵仏性』を参照のこと。馬鳴の梵名はアシュヴァゴーシャであるが、音訳なら「阿湿縛窶沙」(玄奘『大唐西域記』参照)。馬鳴には、鳩摩羅什による『馬鳴菩薩伝』などが存在し、婆羅門階級の出身で、クシャーナ王朝のカニシカ王と親交があったことが知られる。高祖の『正法眼蔵仏祖』には十祖波栗湿縛大和尚~十一祖富那夜奢大和尚~十二祖馬鳴大和尚~十三祖迦毘摩羅大和尚~十四祖那伽閼刺樹那大和尚とあり、更に太祖も『伝光録』で、馬鳴を馬鳴としか書いてない。宗門僧侶は朝課の「祖堂諷経」の回向文中に、五十七仏を誦むが、ここには馬鳴がない。その部分は「阿那菩底」となっている。だからこれは日本の江戸時代頃何かの誤りで馬鳴大士を阿那菩底と入れ替えた可能性が高い。
師はヴァーラナシーの人であり、功勝とも呼ばれている。見える処も見えない処もその功徳が最も優れているので、このように名けた。師が夜奢尊者に参じたその最初に質問した。「私は佛とは何かを理解したい。それはいったい何ですか」。尊者が言った、「君が仏を理解しようとするならば、理解しない処がそれなのだ」と。
師は波羅奈国の人也、また功勝と名づく。有作・無作諸々の功徳最も殊勝となすを以て故に名けたり。即ち夜奢尊者に参ずる処、最初に問て曰く、我れ佛を識らんと欲す。何者か即ち是なるや。尊者曰く。汝、佛を識らんと欲すれば、識らざる者是れなりと。(機縁及び現代語訳)
語註―ヴァーラーナシー(Varanasi、インドのウッタル・プラデーシュ州の都市。同県の県都。人口は約一二〇万人。ヴァルナ川とアッシー川に囲まれた扇状地。ヴァーラーナシーの北方約十㎞に位置するサールナートは、仏陀が悟りを開いた後、初めて教えを説いた初転法輪の故地とされる。鹿が多く住む林(旧訳「施鹿林」、新訳「鹿野苑」)の中で鹿野苑 梵 mṛgadāvaはリシパタナと呼ばれる。仏教の四大聖地の一。
この段のテーマ・・・・仏道修行者にとって、最も大切なことは仏とは何かという根本をはっきりさせなければならない。この段の太祖の拈提はかなり長い。以下がその拈提の現代語訳である。
仏道を学ぶものは今も昔も、仏とは何かを学ばないものは、皆、外道の生き方である。説法が上手だとか、見た目が神々しいと、上辺で評価してはならない。だから三十二の特徴や八十種の相好で判断してはならない。そこで率直に「仏とは何か」と質問したのだ。その答えは「仏を知ろうとするならば、それを知らないでよい世界があると知るべきだ」と。その知らない世界とは他でもない正に馬鳴尊者その人である。分かった時も、分からない時も他に自己の人生はない。変わったこともない。だからこそ昔から現在に至るまで、これは他人が見れば、三十二相であり、八十種の相好として受け止め、三頭八臂の働きをし、絶望の人生に直面し、人間として扱われないことがあり、身動きが取れない事もある。これは人生を生きるための現実だが、自己本来の命を基本として生きるとは、出逢うところすべてが我が命なのだ。
生きるも死ぬもそこに自分は何だと他人事をいう余地はない。自己のみ知る自己のみの世界なのだ。他人の評価を待たない世界なのだ。だからそれは世界の始まる以前から未来永劫にかけても人間の意識を超えている。こうしたものの道理を聞いて普通の人は、「もし知ってしまえば仏ではない。」と考え、「知ろうとしない、自他を二つに分けないのが仏だ。」と思うかもしれない。しかし「不識」をそのように捉えるのであれば何も富那夜奢がこの回答をする必要がないではないか。「暗いところから暗いところに移動する。「人間の思いの中の出来事」でない。だから尊者は人間の思いに渉らない処」と答えたのだ。しかし馬鳴はそれでも納得がゆかない。それは従来と同じように自分の思いで理解しようとするからなのだ。そこでさらに質問する。「仏は元々知ることのできないものだとすれば、一体だれがそうだと知るのか」と。尊者は重ねて教えた。「仏の世界は人間の思いを超えている。それなのに自分の思いで理解しようとしない事だけが大切だ」。馬鳴は言う、「この話はノコギリの働きを示すのですか」と。「いやこれは切られる木の方だよ」。夜奢尊者は重ねて質問します。「君の言うノコギリとは何を指しているのか」。馬鳴は「これは師匠様と同じではないですか」と答え、さらに質問します。「切られる木の方だとは」どういう意味ですか。夜奢尊者は「君はついに私に本性を見られてしまったね」と。この時馬鳴は即座に納得した。君がそのままであるならば、私もまたそのままだ。八の字のように広く開いて両手で分け与えるが、君も私もなにも受け取らず、借り物もない。ノコギリがノコギリを切っているようなもので、これを仮にノコギリの働き」と呼んでみた。馬鳴は「それで私は結局切られる木ですか」。夜奢尊者は「そうだ切られる木の方だ」と。それはなぜかといえば、自分のアタマの及ばない世界は例えば真っ暗で何も見る事ができないし、知ることもできない。ここは足し前いらず、借り物無しだ。そこらに転がる丸太のようであり、本堂の柱のようだ。そこで「お前は何者か」と怒鳴ってみても仕方ない。それはただそうなのであり、自分の思いを差し挟む余地がない。このように理解したので彼は「私は切られる木ですか」と言った。それでも師匠の意図が分からず、幾分かの疑問が残ったので、夜奢尊者は思いやりを籠めてもう一度質問した。「ノコギリの働きとは何を指しているのかね」と。馬鳴は「師匠様と同じことを考えています」と答えた。この時馬鳴は気が付いた。「切られる木とは何ですか」と。夜奢尊者は答えた。「君は私に心を読まれてしまった」と。これによって師匠と弟子の心が一つになり、従来の心情が崩れ、あたかも夢の中の道を歩み、空を飛んでいるようだ。そこで夜奢尊者は言った。「君は私に心を読まれてしまった」と。このときはじめて本来無心であり、自縛するものは何もないと納得し、悟りの世界という逃げ場を通り抜け、「何だそんな事か」と気がついた。ここに法灯の第十二祖となった。
夜奢尊者が弟子たちに語った。この馬鳴大士はむかしヴェーシャリー国の王であった。その国に一人の人間が馬の丸裸のようだったので、神通力を使って分身を蚕とした。そのために彼は衣服を得る事ができた。その後、この王は中インドに生まれ王となった。王の慈悲を感じた馬や人が共に、馬のなぎ声をしたので、周囲の人は馬鳴と名付けた。この事に就いて仏陀は「吾が滅度の後六百年、まさに賢者馬鳴なる者有るべし。波羅奈国において異道を摧伏し、広く人天を度し、度人無量。吾を継いで伝化すべし。いま正に是の時なり」と授記を与えている。これに従い夜奢尊者は馬鳴に正法眼蔵を付嘱した。
この一連の物語を、「それは不識不受のところ」と決めつけ、「処処不識なるところ」と心得てはならない。なぜならば知らない処というのは、自分が気づいていないだけであり、謙虚に学び、あらゆる可能性を考えながら、仏とは何か、祖師とは何か」を捉えようとしても思い浮かべる事ができない。人間やその他種々な生き物の中にそれを求めても得られない。かといって、それが変わらない物、動く物と決まってもいない。それは以前、人間の思惑を超えていたとか、表と裏の話でもない。まして正面や側面の話でもない。実はそのこと自体が「自己本来の姿である」と気が付かねばならない。私たちの日暮しには凡人、聖人、思いを持つ物として去来し、自身とその住まう世界という区別があるが、しかしそのこと以外に何もなく、ここに生きここに死んでゆくだけなのだ。例えていうならば、海水が波を起こすようなものであり、幾ら激しく押し寄せても元の水は一滴も増える事がない。また波が収まっても一滴の減ることがないではないか。かつて人間であり天人であったときに仏様と呼ばれ、鬼畜にも劣るとされる事もあるが、それは一応の見かけだけの事、そこで仏さまになるのも、鬼畜となるのも決まっていない。それは悩む修行者に解決のヒントを与え、自身を鍛錬し、天地草木は皆、ひと時の現象であると知り、夢の中の仏道を行ずることになる。こうした事からインドの教化法としての幻術が現在でも伝わっており、中国、日本と絶えることなく、凡人を聖人に変えてきた。だから私たちはこのように入れ替わり、立ち代って修行を大切にし、自己の罪過を忘れず、人生の短さにも迷わされずに生きてゆかねばならない。これこそ本物の禅僧だ。今日またこの一段の物語を締め来るために、例によって拙い詩を紹介するが、聞いてくれるかな。(拈提の現代語訳 )
実に参学の最初、必ず尋ぬべきは是れ仏なり。三世諸仏・数代の祖師、尽く是れ学仏の漢といふ。若し仏を学せざれば、悉くこれ外道の漢ととく。故に音声をもて求むべきにあらず、色相を以て求めしるべきにあらず。故に三十二相・八十種好をもて佛とするにたらず。因て我れ佛を識らんと欲す、何者か即ち是なると問い来る。即ち示して曰く、汝、佛を識らんと欲せば識らざる者是れなりと。いはゆる不識者といふは。まさにこれ馬鳴尊者也。豈に他ならんや。未知時もしれるときも別の保任なし。他の様子なし。故に昔しより今に及びて、只是の如し。有時は三十二相を帯し、八十種好を具し、三頭八臂を帯し、五衰八苦に沈み、有る時は被毛戴角し、有る時は鉄担架鎖す。常に三界中に居して、自己の行履を保任し、自心の中に頭出頭沒して、異面を帯び来る。故に生じきたるも是れ何者なりとしらず、死し去るも是れ何者なりとしらず。形をつけんとすれども、是れ造作すべき法にあらず。名を安ぜんとすれども、亦これ建立すべきことにあらず。故に劫より劫に至るまで、曽てしるところなく、我にしたがひ我に共なふとも、都て弁ずることなし。
適来の因縁を聴いて、多く解して曰く。いかにもしることあるは、即ち是れ佛にたがはん、しることなく分つことなからん、正に是れ佛なるべしと云ふ。今の不識を恁麼に会せば、何ぞ煩はしく夜奢尊者恁麼に示さん。冥きより冥きに入る、只是のごとく都て恁麼ならざる故に。直に示して曰く、不識者是也と。馬鳴なほ明らめず。只是れ従来の不知といふをもて今の示す処を解す。故に曰く、佛既に識らず焉んぞ是れを知らんや乎。尊者重て示して曰く、既に佛を知らず、焉んぞ不是なることを知らんや。その外に求むべきにあらず。不知とは即ち是れ佛なり。豈不是と云べけんや。師く。此れは是れ鋸の義なりと。尊者曰く、彼れは是れ木の義なりと。夜奢復た問ふ、鋸義者何ぞや。師曰く、師と平出すと。馬鳴又問ふ、木の義とは何んぞ。尊者曰く、汝、我に解せらる。師豁然と省悟す。実に汝も如是我も如是。八字に打開し両手に分付す、汝も我も一点を受けず、吾も汝も少分をからず。これによりて平出せること恰も鋸の如し。故にいふ鋸義と。師解して曰く、吾れは是れ木義と。尊者曰く、彼れは是れ木義。所以者何なれば。黒漫漫として総て知る処なし。更に一点をも着けず、一知をも仮らず。恰も木頭の如く又露柱の如し。無心にして恁麼也。終に弁別する処なし。恁麼に会する、故に道ふ彼は是れ木の義と。然れ共恁麼の処解、余習なほ残て師義を知らず、此に尊者慈悲落草の故に。復た問ふ。鋸の義とは何ぞやと。師曰く、師と平出すと。此に至りて重て自ら道取して、又問ふ。木義とは何ぞや。夜奢復た授手分付して曰く、汝我に解せらると。爰に師資の道通じ。古今の情やぶれて。夢中に路をなし来り、空裏を運歩しもてゆく。故に曰く。汝我に解せらると。ここに到りて無心凝結すみやかにとけ、明白の窠窟もぬけ来て。豁然として開悟、遂に第十二祖に列す。
尊者衆に謂て曰く、此の大士は者、むかし毘舍離国王たり。その国に一類の人あり、馬の裸露なるが如し。王、神力を運んで、分身を蠶と為し、彼れ乃て衣を得たり。彼の王のちに中印度に生まるに、馬人感恋して悲鳴す。因て馬鳴と号したり。如来記して云く、吾が滅度の後六百年、まさに賢者馬鳴なる者有るべし。波羅奈国において異道を摧伏し、広く人天を度し、度人無量。吾を継いで伝化すべしと。いま正に是の時なりと云ひて。夜奢即ち如来の正法眼蔵を付嘱す。此の一段始終のところ、みだりに不識不受のところとして、処処不識なるところとすることなかれ。即ち不識なりとも、未胞胎のところにして、子細に見得し、子細に思量して、佛面祖面を摸索すれどもえず。人面鬼畜を求覓すれどもえず。是れ不変なるにもあらず。是れ動著するにもあらず、曽て空なるにもあらず。内外の論なく、正偏のへだてなし。まさに是れ自己本来の面目なることを覚知して、たとひ凡聖含霊とあらはれ来り、依正二報とわかれ来れども、全くこの中に去來し、此の中に起滅す。あだかも海水のなみををこすが如く。おこりおこれども曽て一水もまさず。又波の滅するが如し。滅し滅すれども一滴もうしなはず。曽て人間天上の中に、しばらく諸佛と呼ばれ来り、鬼畜と呼ばれ来る。恰も一面上にかりに衆面を現ずるが如し。是れ佛面とせんも不是。鬼面とせんも不是。然も建化門頭の事。敲唱し来り、まさに如幻三昧を修習し、夢中の佛事をなし来る。これによりて西天の化導幻術今に不断、三国流転して、転凡入聖し来るなり。よく恁麼に転変修習して、まさに自己の罪過をも疎くせず。自己の生死にもまどはされず、これ真箇本色の衲僧なるべし。今日適来の因縁を挙揚するに、例によりて卑語あり。聞かんと要すや。
野山に咲いている桃は自分が鮮やかだと思っていない。
それでもその姿を見た修行者に、命の力強さを気付かせた。
野村紅不桃華識 更教靈雲到不疑(頌古現代語訳)
語註―毘舍離国―ビハール州の州都パトナからガンジス河を隔てて北に約五十五キロにある仏教ゆかりの地 Vaiśālīの音写。吠舎離とも写す。古代に中インドにあった国。当時の六大城・十六大国の一つ。リッチャビー族 (離車族) の住んでいた地域。自治制がしかれ,通商貿易が盛んで,自由を尊ぶ精神的雰囲気があった。仏教経典の第二回結集が行われた。落草―説法のことで、初心者の理解のため、調子を和らげて話すこと。「落草談」の著述がある。建化門頭の事―教化の手段。如幻三昧―大自然のすべてを一時の現象ととらえること。凡聖含霊―凡人と聖人、思いを持つもの。すべての生き物。依正二報―依報し正報の二報は、前世の行いの報いとしての自身とその住む世界を言う。
コメント