2021年10月29日 瑩山禅師の伝光録に親しむ第二 11章 富那夜奢尊者 第十一章 第十一祖。富那夜奢尊者が合掌して脇尊者の前に立った。脇尊者が質問した、「君はどこからきたのかね」。富那夜奢は答えた、「私の心はどこにも留まっていないので、どこから来たということはありません」。脇尊者がまた質問した、「君は留まる場所がないというが、それでは今どこにいるのかね」。富那夜奢が答えた。「私に留まる場所はどこにもありません」と。脇尊者がさらに質問します。「そうすると君は居場所を持たない人間なのか」。富那夜奢が答えます。「居場所がないのは仏様だって同じです」と。脇尊者がさらに質問します。「そもそも君は仏さまでないではないか、いや仏さまでさえそれでよいということはない」。富那夜奢はこの言葉を聞いて、二十一日間修行を続け、自分をどうにかしようという心を離れた。脇尊者に告げた、「仏さまでもダメなら、あなたでさえ頼りにならないのでは」と。脇尊者はこの青年が仏の道を確実に歩むことを知り、正法の後継者と定めた。 (本則現代語訳) 第十一祖。富那夜奢尊者。合掌して脇尊者の前に立つ。尊者問て曰く、汝何れより来るや。師曰く、我が心は往するに非ず。尊者曰く、汝何れの処にか住せる。師曰く、我が心止まるに非ず。尊者曰く、汝不定なるや。師曰く、諸佛も亦然なり。尊者曰く、汝は諸佛に非ず、諸佛亦非なり。師此の言を聞き、三七日を経て修行し、無生法忍を得たり。尊者に告げて曰く、諸佛も亦非なり。尊者も非なり。尊者聴許して正法を付せり。 富那夜奢尊者はパータリプトラの人。姓はゴータマ、父は宝身。脇尊者が初てパータリプトラに至り一樹の下で一休みし、右手で地を指して、弟子たちに告げて曰った。この土地が金色に変るなら、いずれ聖人が現れて修行仲間に入るはずた。言い終わると忽ち地面が金色に変った。その時に長者の子富那夜奢があり、合掌し立て云った。・・・尊者はそこで詩偈を説て曰った。「この地金色に変ず、預め聖の至るを知る。当に菩提樹に坐して覚華而も成じ已るべし」と。夜奢もまた偈を説いて曰った、「師、金色の地に坐し、常に真実義を説く。光を回らし我を照らして、三摩諦に入らしむ」と。尊者は富那夜奢の覚悟を知り、直ちに出家受戒させた。 師は華氏国の人なり。姓は瞿曇氏、父は宝身。脇尊者初て華氏国に至り一樹の下に憩ひ、右手にて地を指し、衆に告げて曰く、此の地、金色に変ずれば、当に聖人有って会に入るべし。言ひ訖て即ち地金色に変ず。時に長者子富那夜奢あり、合掌し立て云々。・・・・尊者因みに偈を説て曰く、此地金色に変ず、預め聖の至るを知る。当に菩提樹に坐して覚華而も成じ已るべし。夜奢復た偈を説いて曰く、師、金色の地に坐し、常に真実義を説く。光を回らし我を照らして、三摩諦に入らしむ。尊者、師の意を知り。即ち度して出家し、戒法を具せしむ。(機縁) 補注―富那夜奢尊者(西暦100頃~180頃) 梵名はプンナヤッシャ Puṇyayaśas この時代は中インドのパータリプトラ=華氏城(現インドビハール州バトナ)に都をおいたアショーカ王のマウリア王朝は衰退し、代わって北インドプルシャプラ(現パキスタン・ペシャワール)に都したクシャーン王朝のカニシュカ王が勢力を伸ばした時代、舞台はパータリプトラである。三摩諦 Samāadhi 三昧、定、等持などとも言い、心を一つに集中する事。 以下太祖様の提唱は言葉としては非常に明快です。「自分はどこかに立地するのでもなく、どこにも捉われないものでもない。それは多くの仏さまと同じ世界を生きること・・・いわゆる無住所涅槃の世界を生きること」だと教えます。しかしよく考えてみれば、そんなことを理屈で説いても仕方ない、実際に修行生活の中で少しずつ体得してゆく=覚触する以外に道はないことを強調されます。それが以下の提唱です。 ここに引用した師匠と弟子の出逢いの内容によれば、夜奢尊者は初めから聖者だった。それは我が心は往くに非ず、留まるに非ざれども実はそれが諸佛の在り方と変わりないと説いた。この見立ては間違いではないが、どっちつかず優柔不断ではならない。なぜならば、「なんの努力も不必要で、必ず仏さまが救ってくれる」といって平素の修行を怠ったのでは、修行の世界に近づくことはない。昔から「耕夫の牛を取り上げ、飢人の食を奪う」というが、他人の事はとやかく言っても自分の命は、なかなかそこまで追い詰められない。まして自己の命の中に仏を見る事ができない。だから「君は仏さまではない」と指摘した。仏というものを自分とは別なものだと考える事そのものが間違いだ。そこをしっくりさせるために、三週間もの修習行道を続けた。ある時「そうかこういうことか」と気が付いた。それは自己の生き方以外に仏はあり得ないという事であった。また仏からも解放される事だった。これを古来、「無生法忍を悟る」と言っている。 それが納得できて、仏の命は裏表、内外という区別が存しない事を確信し、「仏は仏、師匠は師匠・・・自分は自分でしかないと言っている。仏道の世界は理屈ではなく、心の持ち方でもない。むしろそれはすべてが仏の生命の現れと言えるが、そのように表現すること自体が不徹底だ。だから空寂だとか至高の道理などと名付けてもいけない。仏道修行者が最も慎むべきは、確かに修行生活の中にいわゆる「自覚=覚り」がないわけではないが、たった一度だけの覚りの体験が格別なものでないと心得るべきだ。昨日覚っても、今日は新たな迷いとなっている事を慎まなければならない。この師匠と弟子との出会いによって、私たちはある時は聖人として大地を輝かせ、麗しい徳風が吹いて世間をあっと言わせる事があるのは事実としても、確かなのは、それだからこそ日々の修行生活を覚りの行としなくてはならない。仏の行とは、愚かな自分の凡夫根性を離れ、仏の命にお任せする事だ。今朝君たちにこの先輩の話をしたのを要約し、拙い詩文を示したい。聞いてくれるかな。(提唱現代語訳) 適来の因縁。夜奢尊者は、元来是れ聖者なり。これによりて我が心往するに非ず、我が心止まるに非ず、諸佛亦た然りと説く。然も猶を是れ両箇の見也。所以者何となれば。我が心も如是、諸佛も如是と会す。是によりて尊者耕夫之牛を駆り、飢人の食を奪ふ。真実得達の人も猶を是れ自救不了也。なに況や諸佛を存することあらんや。是によりて汝非諸佛と説く。これ理性を以てしるべきにあらず。非相を以て弁ずべきにあらず。故に諸佛の智を以て知るべきにあらず。自己の識を以てはかるべきにあらず。故に此の言を聞てより。三七日の間だ修習行道して、さしおくことなし。遂に一日覚觸して、まさに我心を忘し、諸佛を解脱す。これを無生法忍を悟るといふ。遂にこの理に通じて、辺表なく内外なきにより、その得処を説くに曰く、諸佛亦尊者にあらずと。実にこれ祖師の道は、理をもて通ずべきにあらず。心をもて弁ずべきにあらず。故に法身法性萬法一心をもて究竟とするにあらず。故に不変とも説くべからず、清浄とも会すべからず。なに況んや、空寂なりと会せんや。至理なりと弁ぜんや。故に諸家の聖者、悉くこの処にいたりて初心を回し、再び心地を開明して、直に入路を通じ、速かに己見を破す。今の因縁をもて知るべし。已に是れ聖者たるによりて、来る時地すなはち変じ、徳風ものをおどろかすちからあり。然れどもなほ三七日の間だ修習して、この所に達す。故に諸人者子細に明弁して、わづかに小徳小智己見旧情をもて宗旨を定ることなかれ。大にすべからく子細にしてはぢめてうべし。今朝又此の因縁を会せんとするに、忝く卑語をもてす。大衆聞かんと要す麼や。(提唱) 語註―「驅耕夫之牛。奪飢人之食」は『碧巌録』の言葉、「一番大切な最後のものをも奪い取る。師家の激しい手段」を言う。無生法忍は一切のものは不生不滅であることを認めること。「忍」とは認可,認知のこと。一切の衆生を空であるとみて邪見に落ちないのを生忍 (衆生忍) といい,一切は空であり,実相であるという真理のうえに心を安んじ不動であるのを法忍という。 自分の拙い理解力が、多くの仏さまと同じであるはずがない。 しかしその愚かで拙い自分以外の自分が どこか遠くの場所にあると妄想してはならない。 結局どっちへ転んでも皆仏さまの腕の中の出来事なのだ。 我が心、佛に非ず亦、汝に非ず 来往、從來此の中に在り 我心非佛亦非汝 来往在從來此中(頌古現代語訳) カテゴリなしの他の記事 < 前の記事次の記事 > コメント コメントフォーム 名前 コメント 記事の評価 リセット リセット 顔 星 情報を記憶 コメントを投稿する
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