内山興正老師の頂相
内山興正老師は平成十年(1998)3月13日享年86で歳で遷化されました。内山老師は安泰寺6世住職ですが、生前、老師にお願いして一宮市惠林寺の4世となっていただきましたので、当寺にも分骨し、位牌と石塔が建てられています。私は老師が遷化される5年ほど以前の正月に、この頂相を写して、老師の許に行き、賛をお願いしたのですが、そのような仕事には興味が無くて、鄭重にお断りされました。それでも私はこの絵を老師の許に置いて帰りました。昨年2月桂子奥様が亡くなられましたので、老師の遺品の大半は私が引き取ることになり、遺品を整理していると、私の描いた頂相もそのまま置いてありました。私は「はやり書いて頂けなかった」と思っていましたが、別な場所に幅41cm高さ30cmの黒い厚紙に白のポスターカラーで「祇管生死」と書かれた詩を発見しました。「これは善い形見が頂けた」と喜んで持ち帰ったのですが、内山老師の23回忌も過ぎた、今年の4月、少暇を得ましたので、以前に描いて途中になっていた老師の頂相を完成させようとして、その賛語になる適当な筆痕を探しているうちに、この「祇管生死」を思い出し、寸法を測ってみると、頂相の賛語にピッタリでした。私はこの時初めて「師匠が私のために、用意してくれていたのだ」と気が付きました。老師は晩年、「若いうちは祇管打坐だけど、年を取って足が組めなくなったら念仏だ」と言っていました。そうはいっても老師が晩年、いつも念仏を唱えていたということは、あまり目にもしなければ、聞きもしませんでした。それとは別に幾つもの詩を作り、『生死発句集』としてまとめていました。この詩はそこに納められていますが、この黒い板の文字は明らかに、弟子の私に対しての形見として残してくれていたものだと受け止めています。
「実物のいのちの深さで生き死にす どっちへどうころんでも御いのち
いまこの実物こそ御いのち 無有生死の祇管生死」
正しくこれは内山興正老師の遺偈と言ってよいでしょう。
「南無本師道融興正大和尚、生生世世知遇頂戴」
です。(一宮市惠林寺五世関口道潤敬って写す。)
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