私たち日本の仏教徒にとっては(陀誕生の地ルンビニ、テラウラコット、∪道の地ブッダガヤ、初転法輪の地サールナートの鹿野苑、ぞ鐔酸睨,領罐蕁璽献ルの霊鷲山、ズ埜紊琉袖鐔す圓涼魯凜А璽轡礇蝓爾僚迭婢崙押↓涅槃の地クシナガラ等が最も重要な佛跡で是非とも巡礼したい聖地です。
しかし現代におけるインド仏教徒にとっては事情が大きく異なるようです。もちろんインド仏教徒にとってもそれらの聖地を無視しているわけではありませんが、彼らにとって最大の信仰中心はナグプールのディークシャブゥーミ(改宗広場・改宗大塔)です。ナグプールNagpurはマラティー語 (Marathi) を話し、中央インドに属するマハラシュトラ州でも人口第三位となる242万人を擁する都市です。 この都市は50年ほど以前、インドの初代法務大臣ビーム・ラオ・ラムジー・アンベードカル博士が全国の有志やカースト外に置かれて、ヒンドゥー教徒から人間として認められていなかったダリット(不可触民)たちに呼びかけて、36万人(50万人とも言われる)の市民とともにヒンドゥー教から佛教に改宗して、人間の尊厳は誰にも差別して傷つけられないことを確認した場所なのです。その改宗式を断行した場所は現在ディークシャ・ブゥーミ(改宗広場)という公園に整備され、ここに大学、僧院、ディークシャ・ブゥーミ(改宗大塔)が建立されています。
ここでは毎年10月中旬に黄金祭が催されます。これは昔アショーカ王が佛教に帰依した日を「アショーカ王法勝利の日」として、その日を記念して仏教徒がインド各地、世界各国から集まります。今年は10月17日がその日に当たり、100万人が集まると予想されています。この日は例年30万人がヒンドゥー教から佛教に改宗し、また3千人の比丘(佛教僧侶)が誕生するものと見込まれています。
私たち日本人は旅行ガイドやインド政府の発表する情報だけを頼りにしており、現在のインド人口12億人、90%がヒンドゥー教徒で仏教徒は0.9%で880万人だと思っていますが、現地で仏教徒を指導しているアーリヤ・ナーガルジュナ師(日本出身のインド人・日本名佐々井秀嶺長老)は「現在インドの佛教人口は3億人だ」と話されます。このアーリヤ・ナーガルジュナ師が今年、日本人篤志家の協力でナグプール市の北東40キロのラムテック地区に龍樹菩薩大寺(Nagarjuna Maha vihar)を建立し、黄金祭翌日の18日にその落慶式があるために私も友人4人とともにその2か所を訪問することにしています。
これもまた日本人にとっては意外の事かもしれませんが、インドでの挨拶は合掌して「ナマステ」といえばよいとなっていますが、ナグプール仏教徒の前で「ナマステ」は禁句です。それはヒンドゥー教徒同士のあいさつだからです。彼らは専ら「ジャイ・ビーム!」といいます。これは佛教復興の父ビーム・ラーオ・ラムジー・アンベードカル博士をたたえるために「ビーム万歳」、「アンベードカルに勝利を」という意味になります。
今回のインド訪問はこの2つのお祭りを見るために行くのですが、私の住む東海地区からは名古屋~ムンバイ~ナグプールの往復が3日、お祭りが2日で、合計5日ですが、その前後に多少の観光を付け加えます。具体的には14日夕方キャセイ機を利用し香港経由でムンバイに行き、翌15日、国内線でムンバイ~アウランガバードに行き、ここで日本語ガイドによる専用車に乗車してユネスコ世界文化遺産のエローラ、アジャンタ遺跡を見学し、夕方にはインド国鉄西部幹線のジャルガオン駅前に送っていただき、ここのホテルで仮眠し、22時ころの夜行寝台急行で16日早朝ナグプールに入ります。ここでの宿泊はザ・プライド・ホテルです。ナグプールでの日程を終了した18日の夜行寝台でマディヤプラデシュ州の州都ボパールに行き、アッパー湖畔のランジット・レイクビュー・ホテルで仮眠し、ここでも専用車をお願いしユネスコ世界文化遺産ビンベットカ岩陰古代壁画(25000年以前の)と同じくユネスコ世界文化遺産サンチー仏塔遺跡群を見学します。余談になりますがこのサンチー第一仏塔の高さは16.4メートルで、この仏塔のイメージをそのまま踏襲したのがナグプールのディークシャブゥーミ(改宗大塔)です。現地の仏教徒が最大限の信仰心と浄財により総白大理石造り38メートルという巨大なストゥーパを建立しました。サンチー見学後、ボーパル空港からムンバイに移動し、国内線空港近くのラミーゲストライン・ホテル。ジューフーに泊まり、翌日は世界遺産のエレファンタ島洞窟遺跡、ムンバイ市内半日観光をし、21日未明のキャセイ機で香港経由で名古屋に戻る予定です。「取らぬ狸の皮算用」といいますが、インドの交通機関がすべて順調であった場合の計画ですが、もしかすると一部を割愛しなければならなくなるかもしれません。
しかし現代におけるインド仏教徒にとっては事情が大きく異なるようです。もちろんインド仏教徒にとってもそれらの聖地を無視しているわけではありませんが、彼らにとって最大の信仰中心はナグプールのディークシャブゥーミ(改宗広場・改宗大塔)です。ナグプールNagpurはマラティー語 (Marathi) を話し、中央インドに属するマハラシュトラ州でも人口第三位となる242万人を擁する都市です。 この都市は50年ほど以前、インドの初代法務大臣ビーム・ラオ・ラムジー・アンベードカル博士が全国の有志やカースト外に置かれて、ヒンドゥー教徒から人間として認められていなかったダリット(不可触民)たちに呼びかけて、36万人(50万人とも言われる)の市民とともにヒンドゥー教から佛教に改宗して、人間の尊厳は誰にも差別して傷つけられないことを確認した場所なのです。その改宗式を断行した場所は現在ディークシャ・ブゥーミ(改宗広場)という公園に整備され、ここに大学、僧院、ディークシャ・ブゥーミ(改宗大塔)が建立されています。
ここでは毎年10月中旬に黄金祭が催されます。これは昔アショーカ王が佛教に帰依した日を「アショーカ王法勝利の日」として、その日を記念して仏教徒がインド各地、世界各国から集まります。今年は10月17日がその日に当たり、100万人が集まると予想されています。この日は例年30万人がヒンドゥー教から佛教に改宗し、また3千人の比丘(佛教僧侶)が誕生するものと見込まれています。
私たち日本人は旅行ガイドやインド政府の発表する情報だけを頼りにしており、現在のインド人口12億人、90%がヒンドゥー教徒で仏教徒は0.9%で880万人だと思っていますが、現地で仏教徒を指導しているアーリヤ・ナーガルジュナ師(日本出身のインド人・日本名佐々井秀嶺長老)は「現在インドの佛教人口は3億人だ」と話されます。このアーリヤ・ナーガルジュナ師が今年、日本人篤志家の協力でナグプール市の北東40キロのラムテック地区に龍樹菩薩大寺(Nagarjuna Maha vihar)を建立し、黄金祭翌日の18日にその落慶式があるために私も友人4人とともにその2か所を訪問することにしています。
これもまた日本人にとっては意外の事かもしれませんが、インドでの挨拶は合掌して「ナマステ」といえばよいとなっていますが、ナグプール仏教徒の前で「ナマステ」は禁句です。それはヒンドゥー教徒同士のあいさつだからです。彼らは専ら「ジャイ・ビーム!」といいます。これは佛教復興の父ビーム・ラーオ・ラムジー・アンベードカル博士をたたえるために「ビーム万歳」、「アンベードカルに勝利を」という意味になります。
今回のインド訪問はこの2つのお祭りを見るために行くのですが、私の住む東海地区からは名古屋~ムンバイ~ナグプールの往復が3日、お祭りが2日で、合計5日ですが、その前後に多少の観光を付け加えます。具体的には14日夕方キャセイ機を利用し香港経由でムンバイに行き、翌15日、国内線でムンバイ~アウランガバードに行き、ここで日本語ガイドによる専用車に乗車してユネスコ世界文化遺産のエローラ、アジャンタ遺跡を見学し、夕方にはインド国鉄西部幹線のジャルガオン駅前に送っていただき、ここのホテルで仮眠し、22時ころの夜行寝台急行で16日早朝ナグプールに入ります。ここでの宿泊はザ・プライド・ホテルです。ナグプールでの日程を終了した18日の夜行寝台でマディヤプラデシュ州の州都ボパールに行き、アッパー湖畔のランジット・レイクビュー・ホテルで仮眠し、ここでも専用車をお願いしユネスコ世界文化遺産ビンベットカ岩陰古代壁画(25000年以前の)と同じくユネスコ世界文化遺産サンチー仏塔遺跡群を見学します。余談になりますがこのサンチー第一仏塔の高さは16.4メートルで、この仏塔のイメージをそのまま踏襲したのがナグプールのディークシャブゥーミ(改宗大塔)です。現地の仏教徒が最大限の信仰心と浄財により総白大理石造り38メートルという巨大なストゥーパを建立しました。サンチー見学後、ボーパル空港からムンバイに移動し、国内線空港近くのラミーゲストライン・ホテル。ジューフーに泊まり、翌日は世界遺産のエレファンタ島洞窟遺跡、ムンバイ市内半日観光をし、21日未明のキャセイ機で香港経由で名古屋に戻る予定です。「取らぬ狸の皮算用」といいますが、インドの交通機関がすべて順調であった場合の計画ですが、もしかすると一部を割愛しなければならなくなるかもしれません。