2021年10月
第十一章
瑩山禅師の伝光録に親しむ第二 12章 馬鳴尊者
第十二章
第十二祖。馬鳴尊者が夜奢尊者に質問した。私は仏とは何かを知りたい。それはいったい何なのですか。夜奢尊者が答えた。もし君が仏とは何かを知りたいのなら、アタマで理解しようとしないことだ。馬鳴が言った。仏は何かと知らないならば、どうしてそれが正しいと決められますか。夜奢尊者が答えた。君は元々仏を知らないのだから、どうしてそれが正しくないと決められるか。馬鳴が言った。これはノコギリに例えての話ですか。夜奢が言った。これは木にも例えられる。それでは更に質問しよう。そもそもノコギリとは何を例えたのか。馬鳴が答えた。これでは師匠様と同じ世界を生きていることになります。そこでさらに質問します。その木とは何ですか。夜奢尊者が答えた。君は私に心を読まれてしまったな。この言葉を聞いて馬鳴は「何だそういうことか」と気が付いた。
第十二祖。馬鳴尊者、夜奢尊者に問て曰く、我れ佛を識らんとす、何物か即ち是なる。尊者曰く、佛を識らんと欲せば、識らざる者是れなり。師曰く、佛既に識らす、焉ぞ是れを知らんや。尊者曰く、既に佛を識らざれば、焉んぞ不是なるを知るらんや。師曰く、此れは是れ鋸の義なり。尊者曰く、彼れは是れ木の義なり。復問ふ、鋸の義とは何んぞや。師曰く、師と平出せり。又問ふ、木の義とは何んぞや。尊者曰く、汝、我に解せらる。師豁然として省悟す。(本則現代語訳)
註記―馬鳴(めみょう120頃~200頃)者、梵名はアシュヴァゴーシャ、Aśvaghoṣ 馬鳴菩薩と呼ばれ、大乗仏教の菩薩、養蚕の守護神と崇められる。伝は『付法蔵因縁伝』に詳しい。また後秦の鳩摩羅什三蔵が翻訳したとされる『馬鳴菩薩伝』に多く述べられる。仏陀の生涯を流麗な詩文で述べた『佛所行讃』=ブッダチャリタの作者であり、中インド華氏城(パータリプトラ)において、天賦の詩才をもって民衆を教化し、仏陀の弟子であるラッタパーラ(梵名 Rāṣṭrapāla、頼吒和羅〈らたわら〉)をモデルとした戯曲を作り演じたところ、多くの市民を教化し、皆それを聞いて無常を悟り、500人の王子や民衆が出家したので、王はついにこの戯曲を禁止したといわれる。ほかに『大荘厳論経』、『金剛針論』、『犍稚梵讃』なども彼の著作とされるが、その真偽については古来議論が続いている。有名な『大乗起信論』も馬鳴菩薩作とされるが、その思想内容が、馬鳴菩薩の時代より百年ほど後のものと考えられ、これは同名の別人とされている。クシャーン朝のカニシュカ王が華氏城を攻めた折、戦利品として、現地に伝わる佛鉢と馬鳴菩薩をガンダーラに連れ去ったという。馬鳴菩薩は以後ガンダーラで活躍する。その説法の感化力が著しいだけでなく、人はもとより、馬もその説法を聞いて、法悦の嘶きをしたので馬鳴といわれる。宗門では阿那菩底と呼ばれるが、古い呼称は馬鳴尊者が正しい。出身地をバラナシ―とする説は中国の『宝林伝』が最初。以後の伝記は大半これに従っている。この章は『正法眼蔵仏性』を参照のこと。馬鳴の梵名はアシュヴァゴーシャであるが、音訳なら「阿湿縛窶沙」(玄奘『大唐西域記』参照)。馬鳴には、鳩摩羅什による『馬鳴菩薩伝』などが存在し、婆羅門階級の出身で、クシャーナ王朝のカニシカ王と親交があったことが知られる。高祖の『正法眼蔵仏祖』には十祖波栗湿縛大和尚~十一祖富那夜奢大和尚~十二祖馬鳴大和尚~十三祖迦毘摩羅大和尚~十四祖那伽閼刺樹那大和尚とあり、更に太祖も『伝光録』で、馬鳴を馬鳴としか書いてない。宗門僧侶は朝課の「祖堂諷経」の回向文中に、五十七仏を誦むが、ここには馬鳴がない。その部分は「阿那菩底」となっている。だからこれは日本の江戸時代頃何かの誤りで馬鳴大士を阿那菩底と入れ替えた可能性が高い。
師はヴァーラナシーの人であり、功勝とも呼ばれている。見える処も見えない処もその功徳が最も優れているので、このように名けた。師が夜奢尊者に参じたその最初に質問した。「私は佛とは何かを理解したい。それはいったい何ですか」。尊者が言った、「君が仏を理解しようとするならば、理解しない処がそれなのだ」と。
師は波羅奈国の人也、また功勝と名づく。有作・無作諸々の功徳最も殊勝となすを以て故に名けたり。即ち夜奢尊者に参ずる処、最初に問て曰く、我れ佛を識らんと欲す。何者か即ち是なるや。尊者曰く。汝、佛を識らんと欲すれば、識らざる者是れなりと。(機縁及び現代語訳)
語註―ヴァーラーナシー(Varanasi、インドのウッタル・プラデーシュ州の都市。同県の県都。人口は約一二〇万人。ヴァルナ川とアッシー川に囲まれた扇状地。ヴァーラーナシーの北方約十㎞に位置するサールナートは、仏陀が悟りを開いた後、初めて教えを説いた初転法輪の故地とされる。鹿が多く住む林(旧訳「施鹿林」、新訳「鹿野苑」)の中で鹿野苑 梵 mṛgadāvaはリシパタナと呼ばれる。仏教の四大聖地の一。
この段のテーマ・・・・仏道修行者にとって、最も大切なことは仏とは何かという根本をはっきりさせなければならない。この段の太祖の拈提はかなり長い。以下がその拈提の現代語訳である。
仏道を学ぶものは今も昔も、仏とは何かを学ばないものは、皆、外道の生き方である。説法が上手だとか、見た目が神々しいと、上辺で評価してはならない。だから三十二の特徴や八十種の相好で判断してはならない。そこで率直に「仏とは何か」と質問したのだ。その答えは「仏を知ろうとするならば、それを知らないでよい世界があると知るべきだ」と。その知らない世界とは他でもない正に馬鳴尊者その人である。分かった時も、分からない時も他に自己の人生はない。変わったこともない。だからこそ昔から現在に至るまで、これは他人が見れば、三十二相であり、八十種の相好として受け止め、三頭八臂の働きをし、絶望の人生に直面し、人間として扱われないことがあり、身動きが取れない事もある。これは人生を生きるための現実だが、自己本来の命を基本として生きるとは、出逢うところすべてが我が命なのだ。
生きるも死ぬもそこに自分は何だと他人事をいう余地はない。自己のみ知る自己のみの世界なのだ。他人の評価を待たない世界なのだ。だからそれは世界の始まる以前から未来永劫にかけても人間の意識を超えている。こうしたものの道理を聞いて普通の人は、「もし知ってしまえば仏ではない。」と考え、「知ろうとしない、自他を二つに分けないのが仏だ。」と思うかもしれない。しかし「不識」をそのように捉えるのであれば何も富那夜奢がこの回答をする必要がないではないか。「暗いところから暗いところに移動する。「人間の思いの中の出来事」でない。だから尊者は人間の思いに渉らない処」と答えたのだ。しかし馬鳴はそれでも納得がゆかない。それは従来と同じように自分の思いで理解しようとするからなのだ。そこでさらに質問する。「仏は元々知ることのできないものだとすれば、一体だれがそうだと知るのか」と。尊者は重ねて教えた。「仏の世界は人間の思いを超えている。それなのに自分の思いで理解しようとしない事だけが大切だ」。馬鳴は言う、「この話はノコギリの働きを示すのですか」と。「いやこれは切られる木の方だよ」。夜奢尊者は重ねて質問します。「君の言うノコギリとは何を指しているのか」。馬鳴は「これは師匠様と同じではないですか」と答え、さらに質問します。「切られる木の方だとは」どういう意味ですか。夜奢尊者は「君はついに私に本性を見られてしまったね」と。この時馬鳴は即座に納得した。君がそのままであるならば、私もまたそのままだ。八の字のように広く開いて両手で分け与えるが、君も私もなにも受け取らず、借り物もない。ノコギリがノコギリを切っているようなもので、これを仮にノコギリの働き」と呼んでみた。馬鳴は「それで私は結局切られる木ですか」。夜奢尊者は「そうだ切られる木の方だ」と。それはなぜかといえば、自分のアタマの及ばない世界は例えば真っ暗で何も見る事ができないし、知ることもできない。ここは足し前いらず、借り物無しだ。そこらに転がる丸太のようであり、本堂の柱のようだ。そこで「お前は何者か」と怒鳴ってみても仕方ない。それはただそうなのであり、自分の思いを差し挟む余地がない。このように理解したので彼は「私は切られる木ですか」と言った。それでも師匠の意図が分からず、幾分かの疑問が残ったので、夜奢尊者は思いやりを籠めてもう一度質問した。「ノコギリの働きとは何を指しているのかね」と。馬鳴は「師匠様と同じことを考えています」と答えた。この時馬鳴は気が付いた。「切られる木とは何ですか」と。夜奢尊者は答えた。「君は私に心を読まれてしまった」と。これによって師匠と弟子の心が一つになり、従来の心情が崩れ、あたかも夢の中の道を歩み、空を飛んでいるようだ。そこで夜奢尊者は言った。「君は私に心を読まれてしまった」と。このときはじめて本来無心であり、自縛するものは何もないと納得し、悟りの世界という逃げ場を通り抜け、「何だそんな事か」と気がついた。ここに法灯の第十二祖となった。
夜奢尊者が弟子たちに語った。この馬鳴大士はむかしヴェーシャリー国の王であった。その国に一人の人間が馬の丸裸のようだったので、神通力を使って分身を蚕とした。そのために彼は衣服を得る事ができた。その後、この王は中インドに生まれ王となった。王の慈悲を感じた馬や人が共に、馬のなぎ声をしたので、周囲の人は馬鳴と名付けた。この事に就いて仏陀は「吾が滅度の後六百年、まさに賢者馬鳴なる者有るべし。波羅奈国において異道を摧伏し、広く人天を度し、度人無量。吾を継いで伝化すべし。いま正に是の時なり」と授記を与えている。これに従い夜奢尊者は馬鳴に正法眼蔵を付嘱した。
この一連の物語を、「それは不識不受のところ」と決めつけ、「処処不識なるところ」と心得てはならない。なぜならば知らない処というのは、自分が気づいていないだけであり、謙虚に学び、あらゆる可能性を考えながら、仏とは何か、祖師とは何か」を捉えようとしても思い浮かべる事ができない。人間やその他種々な生き物の中にそれを求めても得られない。かといって、それが変わらない物、動く物と決まってもいない。それは以前、人間の思惑を超えていたとか、表と裏の話でもない。まして正面や側面の話でもない。実はそのこと自体が「自己本来の姿である」と気が付かねばならない。私たちの日暮しには凡人、聖人、思いを持つ物として去来し、自身とその住まう世界という区別があるが、しかしそのこと以外に何もなく、ここに生きここに死んでゆくだけなのだ。例えていうならば、海水が波を起こすようなものであり、幾ら激しく押し寄せても元の水は一滴も増える事がない。また波が収まっても一滴の減ることがないではないか。かつて人間であり天人であったときに仏様と呼ばれ、鬼畜にも劣るとされる事もあるが、それは一応の見かけだけの事、そこで仏さまになるのも、鬼畜となるのも決まっていない。それは悩む修行者に解決のヒントを与え、自身を鍛錬し、天地草木は皆、ひと時の現象であると知り、夢の中の仏道を行ずることになる。こうした事からインドの教化法としての幻術が現在でも伝わっており、中国、日本と絶えることなく、凡人を聖人に変えてきた。だから私たちはこのように入れ替わり、立ち代って修行を大切にし、自己の罪過を忘れず、人生の短さにも迷わされずに生きてゆかねばならない。これこそ本物の禅僧だ。今日またこの一段の物語を締め来るために、例によって拙い詩を紹介するが、聞いてくれるかな。(拈提の現代語訳 )
実に参学の最初、必ず尋ぬべきは是れ仏なり。三世諸仏・数代の祖師、尽く是れ学仏の漢といふ。若し仏を学せざれば、悉くこれ外道の漢ととく。故に音声をもて求むべきにあらず、色相を以て求めしるべきにあらず。故に三十二相・八十種好をもて佛とするにたらず。因て我れ佛を識らんと欲す、何者か即ち是なると問い来る。即ち示して曰く、汝、佛を識らんと欲せば識らざる者是れなりと。いはゆる不識者といふは。まさにこれ馬鳴尊者也。豈に他ならんや。未知時もしれるときも別の保任なし。他の様子なし。故に昔しより今に及びて、只是の如し。有時は三十二相を帯し、八十種好を具し、三頭八臂を帯し、五衰八苦に沈み、有る時は被毛戴角し、有る時は鉄担架鎖す。常に三界中に居して、自己の行履を保任し、自心の中に頭出頭沒して、異面を帯び来る。故に生じきたるも是れ何者なりとしらず、死し去るも是れ何者なりとしらず。形をつけんとすれども、是れ造作すべき法にあらず。名を安ぜんとすれども、亦これ建立すべきことにあらず。故に劫より劫に至るまで、曽てしるところなく、我にしたがひ我に共なふとも、都て弁ずることなし。
適来の因縁を聴いて、多く解して曰く。いかにもしることあるは、即ち是れ佛にたがはん、しることなく分つことなからん、正に是れ佛なるべしと云ふ。今の不識を恁麼に会せば、何ぞ煩はしく夜奢尊者恁麼に示さん。冥きより冥きに入る、只是のごとく都て恁麼ならざる故に。直に示して曰く、不識者是也と。馬鳴なほ明らめず。只是れ従来の不知といふをもて今の示す処を解す。故に曰く、佛既に識らず焉んぞ是れを知らんや乎。尊者重て示して曰く、既に佛を知らず、焉んぞ不是なることを知らんや。その外に求むべきにあらず。不知とは即ち是れ佛なり。豈不是と云べけんや。師く。此れは是れ鋸の義なりと。尊者曰く、彼れは是れ木の義なりと。夜奢復た問ふ、鋸義者何ぞや。師曰く、師と平出すと。馬鳴又問ふ、木の義とは何んぞ。尊者曰く、汝、我に解せらる。師豁然と省悟す。実に汝も如是我も如是。八字に打開し両手に分付す、汝も我も一点を受けず、吾も汝も少分をからず。これによりて平出せること恰も鋸の如し。故にいふ鋸義と。師解して曰く、吾れは是れ木義と。尊者曰く、彼れは是れ木義。所以者何なれば。黒漫漫として総て知る処なし。更に一点をも着けず、一知をも仮らず。恰も木頭の如く又露柱の如し。無心にして恁麼也。終に弁別する処なし。恁麼に会する、故に道ふ彼は是れ木の義と。然れ共恁麼の処解、余習なほ残て師義を知らず、此に尊者慈悲落草の故に。復た問ふ。鋸の義とは何ぞやと。師曰く、師と平出すと。此に至りて重て自ら道取して、又問ふ。木義とは何ぞや。夜奢復た授手分付して曰く、汝我に解せらると。爰に師資の道通じ。古今の情やぶれて。夢中に路をなし来り、空裏を運歩しもてゆく。故に曰く。汝我に解せらると。ここに到りて無心凝結すみやかにとけ、明白の窠窟もぬけ来て。豁然として開悟、遂に第十二祖に列す。
尊者衆に謂て曰く、此の大士は者、むかし毘舍離国王たり。その国に一類の人あり、馬の裸露なるが如し。王、神力を運んで、分身を蠶と為し、彼れ乃て衣を得たり。彼の王のちに中印度に生まるに、馬人感恋して悲鳴す。因て馬鳴と号したり。如来記して云く、吾が滅度の後六百年、まさに賢者馬鳴なる者有るべし。波羅奈国において異道を摧伏し、広く人天を度し、度人無量。吾を継いで伝化すべしと。いま正に是の時なりと云ひて。夜奢即ち如来の正法眼蔵を付嘱す。此の一段始終のところ、みだりに不識不受のところとして、処処不識なるところとすることなかれ。即ち不識なりとも、未胞胎のところにして、子細に見得し、子細に思量して、佛面祖面を摸索すれどもえず。人面鬼畜を求覓すれどもえず。是れ不変なるにもあらず。是れ動著するにもあらず、曽て空なるにもあらず。内外の論なく、正偏のへだてなし。まさに是れ自己本来の面目なることを覚知して、たとひ凡聖含霊とあらはれ来り、依正二報とわかれ来れども、全くこの中に去來し、此の中に起滅す。あだかも海水のなみををこすが如く。おこりおこれども曽て一水もまさず。又波の滅するが如し。滅し滅すれども一滴もうしなはず。曽て人間天上の中に、しばらく諸佛と呼ばれ来り、鬼畜と呼ばれ来る。恰も一面上にかりに衆面を現ずるが如し。是れ佛面とせんも不是。鬼面とせんも不是。然も建化門頭の事。敲唱し来り、まさに如幻三昧を修習し、夢中の佛事をなし来る。これによりて西天の化導幻術今に不断、三国流転して、転凡入聖し来るなり。よく恁麼に転変修習して、まさに自己の罪過をも疎くせず。自己の生死にもまどはされず、これ真箇本色の衲僧なるべし。今日適来の因縁を挙揚するに、例によりて卑語あり。聞かんと要すや。
野山に咲いている桃は自分が鮮やかだと思っていない。
それでもその姿を見た修行者に、命の力強さを気付かせた。
野村紅不桃華識 更教靈雲到不疑(頌古現代語訳)
語註―毘舍離国―ビハール州の州都パトナからガンジス河を隔てて北に約五十五キロにある仏教ゆかりの地 Vaiśālīの音写。吠舎離とも写す。古代に中インドにあった国。当時の六大城・十六大国の一つ。リッチャビー族 (離車族) の住んでいた地域。自治制がしかれ,通商貿易が盛んで,自由を尊ぶ精神的雰囲気があった。仏教経典の第二回結集が行われた。落草―説法のことで、初心者の理解のため、調子を和らげて話すこと。「落草談」の著述がある。建化門頭の事―教化の手段。如幻三昧―大自然のすべてを一時の現象ととらえること。凡聖含霊―凡人と聖人、思いを持つもの。すべての生き物。依正二報―依報し正報の二報は、前世の行いの報いとしての自身とその住む世界を言う。
瑩山禅師の伝光録に親しむ第三 13章 迦毘摩羅尊者
第十三章、
第十三祖迦毘摩羅尊者は馬鳴尊者が「佛の命は大海原のようなものであり、山も川もすべての大地がそれによって成り立っているし、仏道修行者の道力もすべてこれによって成り立っている」と教えた言葉を聞いて、すっかり納得した。
第十三祖迦毘摩羅尊者、因みに馬鳴尊者佛性海を説いて曰く、山河大地皆依て建立す。 三明六通茲に由って発現すと。師聞て信悟す。 (本則現代語訳)
註記―迦毘摩羅ー130頃~200頃、梵名はカピマラ、Kapimala,または 韋羅尊者(ビーラ)Vīraと呼ばれる。『付法蔵因縁伝』では比羅。『宝林伝』、では毗羅に作り、別名を>迦毗魔羅とし、両者は同人としている。しかし『景徳伝灯録』では専ら迦毘摩羅としているので、この時代に毗羅から迦毘摩羅へと変遷したようだ。なお『ターラナータの印度仏教史』では、「韋羅は大乗教の阿闍梨にして詩人。四大論師の一。インドにては有名ならざれども西蔵では閻浮提の六厳の二勝として有名であるといい、さらに彼の阿闍梨は南天竺の地に来て、多数の伽藍の座主となり、土羅婆梨国に於いて五十か所の道場を新設した」とされている。三明六通―神足通ー機に応じて自在に身を現し、思うままに山海を飛行し得るなどの通力。天耳通- ふつう聞こえる事のない遠くの音を聞いたりする超人的な耳。他心通- 他人の心を知る力。宿命通―自分の過去世を知る力。天眼通ー一切衆生の過去世(前世)を知る力。漏尽通―自分の煩悩が尽きて、今生を最後に、生まれ変わることはなくなったと知る力。宿命通、天眼通、漏尽通の三つをまとめて、三明と呼ぶ。
迦毘摩羅尊者(カビモラ尊者)はパータリプトラの人だ。初めは仏道以外の道を学んでおり、すでに三千人の弟子がいた。多くの道を熟知していた。馬鳴尊者がパータリブトラに来て、仏の教えを説いていると、一人の老人がきて、説法をしている所でばったりと倒れ伏した。馬鳴尊者が言った、「これは普通の人間ではない。何か特別なものを持っている。」という言葉が終ったところで姿を消してしまった。すると俄かに地中から一人の金色の人が現れた。その後さらに女人に変化して右手で馬鳴尊者を指さし、「長老様に礼拝を捧げます。ここで仏の授記をお与えください。今この地上に於いて、第一義を説き広めます」と言うや否や、姿が見えなくなった。馬鳴尊者が言った。「これは悪魔がやってきて、私と幻術の争いを望んでいるようだ」と。暫くすると天地がたちまち暗くなり、雨風が吹き付けてきた。馬鳴尊者が「悪魔がやってきた証拠だ。」と。「私はこれを取り除こう」と言って空中を指さすと、そこに大きな金の龍が現れ、実に神々しく山岳は振動した。ところが馬鳴尊者はそこでただ静かに坐禅をした。悪魔の幻術はすぐに消え去り、七日後になって一匹の小さな虫が現れた。虫の大きさは蚊のまつ毛に潜む蟭螟ほどに極めて小さく、馬鳴尊者の坐の下に潜り込んだ。尊者はこの虫を手に取り修行者に言った。「これは先日の悪魔のなれの果てで、私の説法を盗み聞きしていたのだ。」と。尊者は放して消え去るように言ったが、その悪魔は動くことができない。そこで尊者は「君も佛法僧の三宝に帰依すれば、本物の神通力が備わるはずだ」といった。そこで悪魔はついに元の姿に返り、尊者を礼拝し非礼をお詫びした。馬鳴尊者が「君の名前は何で、また幾らかの仲間がいるのかね」と質問すると、「私の名前は迦毘摩羅で三千人の仲間がいます。」と答えた。尊者はまた質問する。「君の神通力はどれ程のことができるのかね」と。迦毘摩羅が答えて「私は大海原をここに作ることだって簡単なことです」と。尊者が質問する。「それなら心の大海原を作ることができるかね」と。迦毘摩羅が質問します。「心の大海原とは何かを私は知りません」と。尊者は即座に心の大海原を説明し、「山河大地もすべてここから成立し、三明六通もすべてここから現れている」と語った。これを聞いて迦毘摩羅は初めて納得がした。
師は華氏国の人なり。初めは外道たり、徒三千有り。諸々の異論に通ず。馬鳴尊者、華氏国に於いて、妙法輪を転ずるに、忽ち独りの老人有り、座前にて地に仆る。尊者衆に謂って曰く、此れは庸流に非ず。当に異相有るべし。言い訖るに則ち見えず。また俄かに地より一りの金色の人を涌出し、復た化して女子となる。右手に尊者を指さして偈を説いて曰く、稽首す長老尊。まさに如來の記を受くべし。いま此の地上に於いて第一義を宣通す。偈を説き訖て見えず。尊者曰く、將に魔の来ること有るべし、吾と力くらべせんとす。暫ありて風雨悪到し、天地晦冥す。尊者曰く、魔来れる証なり。吾まさに之を除くべし。即ち空中を指さすに、一の大金龍を現わせり。威神を奮発し、山岳を震動す。尊者儼然として坐したれば、魔事随て滅す。七日を経て一の小虫有り。大きさ蟭螟のごとくして、形を座下に潜む。尊者手をもって之を取り、衆に示して曰く、これは乃ち魔の変ずる所なり。吾が法を盜み聴くのみ。乃て之を放ちて去らしむに、魔、動くこと能わず。尊者之に告げて曰く、汝倶に三宝に帰依して即ち神通を得べし。魔遂に本形に復し、作礼懺悔す。尊者問て曰く、汝の名は誰ぞや、眷屬多少なるや。答て曰く、我が名は迦毘摩羅。三千の眷屬有り。汝神力を尽くして変化することいかん。曰く、我れ巨海を化すも極て小事と為す。尊者曰く、汝性海を化すること得んや否や。曰く、何を性海と謂うや、我れ未だ嘗て知らず。尊者即ち為に性海を説いて曰く、山河大地皆依て建立す。三明六通も茲に由って発現すと。師聞て信悟す。(機縁及び現代語訳)
老人が地に倒れ伏してから、一匹の極めて小さな虫に姿を変えるまで、あまたの神通力を駆使した。ここでいう「化巨海極爲小事」とは、海を山に変え、山を海にするなどの多くの神通力を駆使したとしても、「心の海原=性海」などは名前さえ知らないでいる。ましてそれを実現することはきない。それだけでない。山河大地とは何によって成り立つのかさえ知らない。だから馬鳴菩薩は「それは心の大海原」に由っていると説いた。三明六通もここから出てくると言っている。なじみ深い「三昧」とはそもそも「首楞嚴三昧」には「無量三昧」、「天眼天耳六通」の三昧など多くが述べられている。これはどこが初めでどこが終わりという事はない。内容も多岐にわたる。だから山河大地を意識するとき、この三昧が地水火風に変わり、山河や草木とも変わってくる。それはまた皮肉骨髄という自分の拠り所ともなり、五体の各部分ともなる。だから出逢うところの総てのものが自己の分身でないことがない。このように二十四時間、意識しようとも、せずとも自分の人生以外のものでない。連綿とした命の絆もすべてが理由あってのものだ。つまり目に見ること、耳に聞くこともすべてがそのまま自己の生命の具現なのだ。この世界は恐らく仏の智慧でさえ、代わってもらえない世界なのだ。これが「心の海原=性海」の具現だ。そうすると仏法と見ても塵芥と見ても区切りがない世界だ。だから一々数えることもできない「心の海原=性海」なのだ。だから自己の思いを離れている。さらに言えば自身の現実は自己の総てであり、心を知るとは現にわが身に体験してゆくことだ。つまりわが身とわが心は別のものではない。理屈で分けようがない。たとえ外道の行う神通力により、種々な神変奇異を見せたとしても、それが自身の現実に他ならない。しかしこれこそ「心の大海原=性海」と気づいていない。だから自分自身を疑い、他人の行いも疑う。物の道理を知らない者は「根本に達した者」とは言えない。他人と競争する実力もない。だから悪魔の力は正体を現し、神通力が途絶えた。
ここで遂に自身の過去を改め、聖人に帰依し、争いをやめて正法が現れた。こうなると山河大地が何かと理解できても、過去の続きの自身ではない。自己の本性が理解できても、「自分は分かったのだ」という思いにすがってはならない。仏や祖師がいかに尊くても、自己に代わってくれない。土塀は土塀、瓦のかけらは瓦のかけらだ。そこに落ち着くこと。自己の生命とは気づいても、気づかずとも自己の思いを超えている。しかし一たび「心の大海原=性海」の立場に翻れば、過去と同じように見るもの、聞くもの、体験する自身の身も心も自然と現れてくる。このように体験するものすべてが自己の思いを超えているが、ただそれ以外のものでもない。空を叩いて色々な音声を現し、空に力を加えて種々な形を形成する。音声は音声、姿形は姿形なのだ。これを静かに振り返るとき、これを空だとか有だとか、現れるもの、隠れるものと区別できないし、自分や他人と区別もできない。そもそも他人とは誰で、自分とは誰なのか。空には何もなく、海は水だらけだ。昔からそれは変わらない。そうすると現実に直面するときも、何の足し前もなく、現実が移ろいでも何も失うものがない。過去の寄せ集めが今の自身であり、すべてが自己の生命の顕現だから一心と言っている。そうならば「仏道を明らめ、仏心に証徹するのにも、すべて今の自己を離れて求めてはならない。ただ自己本来の生命が現れれば、他人は人の顔をした鬼と呼んで称える。
雪峯が言った、この事を会せんと要すれば、我が這裏にて如一面の古鏡に相ひ似たるべし。胡来れば胡現じ、漢来れば漢現ずと。
これこそが如幻三昧であり、はじめもいつか分からないし、終わりもいつとは決まらない。だから山河大地を建立する時も皆これによるのだ。三明六通の神通力もここに由っている。だから自己の生命のほかに具体的世界を見ることができないし、「心の大海原」の外に川や井戸の一滴水を考えることができない。今朝もまたこの物語の締めくくりとして拙い詩を示そう。聞いてくれるかな。(提唱現代語訳)
補註―三昧さんまいー梵語のサマーディsamādhiの音写で、三摩提とも音写し、定(じょう)、正受などと漢訳する。原意は「心を一か所にまとめて置くこと」をいい、これが心を一つの対象に集中し散乱させないという、古代インドでは解脱する手段として種々の方法が考えられたが、ヨーガの修行法は古くから行われ、ヨーガ学派はその極地を三昧とした。首楞厳三昧しゅりょうごんざんまいーあらゆる法門を包含する三昧。śūraṃgama-samādhiの音写語、首楞伽摩三摩地とも音写される。首楞厳(śūraṃgama)は健行や勇行などと訳され、勇敢に行くこと、あるいは英雄の行進といった意味。大乗経典や論書に広く説かれるなか、『首楞厳三昧経』に詳しく説かれる。そこでは、首楞厳三昧を得る事により、菩薩は様々な神通力が可能になるとされ、さらにこの三昧はあらゆる法門や三昧を収めるもの、あらゆる三昧や覚りに至るための法は、すべて首楞厳三昧に随従するとされる。
実に老人仆地より、蟭螟虫となるにいたるまで、神力を現ずること実に無数なり。いはゆる化巨海極為小事。夫れ海を変じて山となし。山を化して海となし。神力を現することきはまりなしといへども。性海未だ名をだにもしらず。何にいはんや化することあらんや。然も山河大地何物の変と覚することなきに、馬鳴すなはち説く、是れ性海の変なりと。しかのみならず三明六通これより変ず。いはゆる三昧は首楞嚴等の無量三昧、天眼天耳六通これ始もきはなく、終りもきはなく。前三三後三三即是なり。正に是れ山河大地を建立するとき、三昧地水火風と化し、山河草木とも化す。所謂皮肉骨髓とも変じ、五体身分とも化し来る。未た一事一法として分外より来るにあらず。故に十二時中虚く捨つる底の功夫なく、無量生死いたづらにあらはるヽ底の相貎なし。故に眼に見ることもきはまりなく、耳に聞くこともきはまりなし。恁麼の見聞をそらくは佛智もはかるべきことあらじ。あにこれ性海の化作ならざらんや。故に法法塵塵すべてこれ涯畔なき法なり。全く是れ数量に墮せず、是れ即ち性海なり。故に如是なり。然も今身をみるは、すなはち是れ心をみるなり。心をしるはこれ身を証するなり。全く身心二つなし、性相何ぞ分たん。たとひ今ま異道の中にありて神変を現ずるも、又是分外にあらざれども、自らしらず、これ性海なりといふことを。これによりて自をも疑惑し、他をもうたがひ来る。然も其の諸有をしらざれば、総に未達根本者力らをたくらぶるにたへず。故に魔力終につきて、神変しがたし。遂に己をすて他に帰し、あらそひをやめて正をあらはす。然ればたとへ山河大地を会すとも、徒に声色の中に繋縛することなかれ。たとひ自己本性をあきらむとも、又覚知にとどまることなかれ。また覚知も一両の佛面祖面なり。いはゆる墻壁瓦礫これ也。本性はまた見聞覚知にかかはらず、動静によらず。然れども性海を建立すれば、必ず動静去来遂に断つることなし。皮肉骨髓時と共にあらはれ来る。若し根本を論ぜんがごときんば、見聞とあらはれ、声色とあらはるとも、他の為にすべきなし。然れば空を扣てひヾきをなす。故に衆声を現ず。空を化して諸物をあらはす。故に形貎区区なり。故に空は是れ形なしとおもふべからず、空はこれ声なしとおもふべからず。更にこのところに到りて子細に参到する時、これ空とすべきにあらず。これ有とすべきにあらず。故に穏顕の法とすべきにあらず、自他の法とすべきにあらず。なにを呼て他とし、なにを喚て我とせん。恰も空裏に一物なきが如く、大海に諸水現するに似たり。古今曽て変易せず。去来あに別路あらんや。故にあらはるヽ時も一点をも添えず、かくるヽ時も一毫をもうしなはず。衆法を合成して此の身とす。萬法を泯絶して更に一心と説く。故に道を明め心を証すること、すべて分外に向ひて求覓することなかれ。只だ自己本地の風光現成し来れば。他これを呼て人面鬼畜とす。雪峯曰。要会此事。我這裏如一面古鏡相似。胡来胡現。漢来漢現。全くこれ如幻三昧。故に始もきはまりなく、終りもきはまりなし。故に山河大地を建立する時も皆是れに依る。顕発三明六通時も茲れに由る。この故に自心の外に大地寸土をみることなかれ。性海の外に河水一滴をつくることなかれ。今朝又此の因縁によりて卑語を着んと欲す。要聞麼。良休して曰く、
註記―この段の逸話は『付法蔵因縁伝』にはなく、『景徳伝灯録』の馬鳴章にある。蟭螟蟲ーしょうめいちゅう・・・ごまむし。蚊のまつげに巣くうという想像上の小虫。微小なもののたとえ。
暫くして言う、広く果てしない大海原の波が天に届くとも、
本来の水に何も代わり映えがない。
(浩)渺波濤縱滔天、清浄海水何曽変(頌古現代語訳)
瑩山禅師の伝光録に親しむ第二 14章 龍樹尊者
第十四章
第十四祖。龍樹尊者が、迦毘摩羅尊者とともに龍王の招待に赴いたとき、如意珠を受けとった。龍樹が質問する。「この珠は世の中にめったにない宝物です。是れは世間的評価によって尊いのですか、本来の価値によって尊いのですか。迦毘摩羅尊者が答えた。「君は世間的評価と本来の価値のみを知っていて、この球のそうした人間の判断を超えた世界があることを知らないようだ。またこれが珠でないことも知らないようだ」と。龍樹はそれを聞いてさらに納得した。
第十四。龍樹尊者。因みに十三祖龍王の請に赴き、如意珠を受く。師問て曰く、此の珠は世中の至宝なり。是れ有相なりや、無相なりや。祖曰く、汝只だ有相無相を知って。此の珠の有相に非ず、無相に非ざることを知らず。また未だ此の珠の珠に非ざるを知らずと。師聞て深く悟れり。(本則並びに現代語訳)
注記―【龍樹】〔梵 Nāgārjuna〕 那伽 門+於 喇樹那150~250年頃のインド大乗仏教中観派の祖。「第二の釈迦」ともいわれる。南インドのバラモンの出身。諸学に通じ、空の思想を基礎づけ、八宗の祖師と呼ばれる。著書に『中論頌』『十二門論』『大智度論』『十住毘婆沙論』など。伝は『付法蔵因縁伝』、鳩摩羅什訳の『龍樹菩薩傳』、『摩訶摩耶經』などに述べられている。マウリヤ朝滅亡(前180年)以来、インドは約500年の分裂状態が続いたが、四世紀に入り、マウリヤ朝と同じマガダを拠点としたグプタ朝が起こった。その創始者もマウリヤ朝と同じ、チャンドラグプタ一世を名乗り都も同じパータリプトラ。チャンドラグプタ一世320年にガンジス川流域を統一、第二代のサンドラグプタは北インドをほぼ統一し、デカン高原にも遠征した。この期間を埋めるようにデカン高原西部にアーンドラ朝が勢力を伸ばした。サータヴァーハナ朝(Sātavāhana、とも呼ばれ、紀元前三世紀~紀元前一世紀? - 後三世紀初頭)に当たる。デカン高原<を中心とした中央インドの広い範囲を統治。パックス・ロマーナ期のローマ帝国と盛んに海上交易を行ったい。この王たちは、バラモン教を信仰したが、仏教やジャイナ教も発展した。第十三祖韋羅尊者、次の龍樹尊者が活躍したのが、この地方であり、この時期に当たっている。
龍樹尊者は西インドの人であり、龍猛または龍勝という。十三祖迦毘摩羅尊者が、この時、出家し正法を伝えて、西インドにやってきた。その国に雲自在王子という者があり、十三祖の高名を聴いて宮中に招いて供養した。尊者が語った。仏陀世尊は「出家修行者は国王大臣権勢の家に近づいてはならないと教えている」と。王子は答えた。それならば我が国の北に大きな山があり、その山中に一つの石窟があります。あなたはそこで修行されてはいかがですか」と。尊者は「それは好都合だ」と答え、意向に従い、その山に向かって進むと、やがて一匹のニシキヘビに出会った。尊者はそれを見過ごして更に進むと蛇は尊者の体に巻き付いて離れない。そこで尊者は蛇に対して三帰戒を授けたところ、蛇はどこかへと去った。尊者が石窟に着いたその時、一人の老人に出会った。白い服を身に着けて合掌して尊者を礼拝した。尊者が「君はどこに住んでいるのか」と尋ねると、老人は「私は以前、仏弟子となり、ひたすら静けさのみを願って山林に隠棲しました。そこへ新米の仏弟子がやってきて、何回も説法を求めたので、私はその回答が億劫になり、怒りや恨みの心を起こしたため、命が終ってニシキヘビの身となりました。そしてここの石窟に住むことすでに一千年を経過しました。たまたま貴方様がこちらにおいで下さり、佛戒をお授け戴きましたので、ここでお礼を申し上げたました」と答えた。尊者は質問する。「この山には君以外の人間が住んでいるか。それは何人もの仲間なのか」。老人が答える。「ここから更に北に行くこと五キロ程の所に大きな木があり、そこには五百人の龍族が身を潜めています。この大樹の王を龍樹といい、龍族のために常に説法をしています。私もいつもそれを拝聴しています」。尊者はその話を聞いて、弟子たちを連れてその大樹の許に行った。そこで龍樹は尊者を出迎えて挨拶した。「こんな深い山奥のニシキヘビやコブラがうようよしている所へ、、貴方のように尊い仏法の指導者がわざわざおいで戴いて恐縮です」と。尊者は挨拶に答える。「私は何も尊い仏道の指導者ではない。ただここに賢い人が住んでいると聞いて会いたかっただけだ」。そこで龍樹は心の中で「この人は法門の悟りを得ているのだろうか?。また真の仏道を継承した指導者なのだろうか?」と考えた。尊者は龍樹の疑問をすぐさま察知して語った。「君が心の中で何を考えているのかは、手に取るように理解した。そんなことより、君がすべきことはただ一つ、出家して仏弟子となることだ。そのためには私が立派な仏道の指導者か否かを考える暇はないはずだ」と。それを聞いた龍樹は自らの至らなさを反省し、改めて尊者について出家得度を願い出た。尊者は直ちに出家得度を与えたところ、居合わせた龍族五百人も同じように出家得度を受けた。これ以後、龍樹たち五百人の龍族は四年間、尊者の許で修行を続けたが、そのことが広く知られて龍族の王が十三祖迦毘摩羅尊者を王宮に招待して、如意珠を差し上げた。(機縁現代語訳)
師は西天竺国の人也。龍猛亦た龍勝と名く。十三祖当時度を受け法を伝ふ。西印土に至るに、彼れに太子有り。雲自在と名く、尊者の名を仰ぎ宮中に請して供養す。尊者曰く、如来に教えあり。沙門は国王大臣権勢の家に親近するを得ずと。太子曰く、いま我が国城の北に大山あり。山中に一石窟有り。師、禪に可なり。これに寂せしや否や。尊者曰く、諾なり。即ち彼の山に入るに数里を行く。一の大蟒に逢へり。尊者直に進んで顧みず。蟒来て遂に尊者の身を盤繞す。尊者因みに三帰依を与授す。蟒聴き訖て去く。尊者まさに石窟に至らんとするに、復た一老人有り、素服にて出で、合掌問訊す。尊者曰く、汝何んの所にか止まる。老人答て曰く、我むかし嘗て比丘となり、多く寂静を楽ひ、山林に隠居す。初学の比丘あり。数々来て請益す、而して我れ応答に煩ひ、瞋恨の想を起こす。命終り墮して蟒身となり、是の窟中に住すること、今すでに千載なり。適々尊者に遇ひ、戒法を聞くことを獲たり。故に来て謝するのみ。尊者問て曰く、此の山さらに何人の居止する有るや。曰く、此より北に去くこと十里に大樹あり、五百の大龍を蔭覆す。其の樹王を龍樹となづく。常に龍衆の為に説法す。我れまた聴受するのみ。尊者遂に徒衆とともに彼に詣る。龍樹出て尊者を迎えて曰く、深山孤寂にして龍蟒の居する所、大聖至尊何ぞ神足を枉げらるや。尊者曰く、われは至尊に非ず、賢者を来訪するのみ。龍樹默念として曰く、この師、決定性を得て明道眼なること否や、是れ大聖にして真乗を継ぐや否やと。尊者曰く、汝、心語すると雖も。吾れすでに意知す、但だ出家を弁ぜよ、何ぞ吾れの聖不聖を慮ることあらんや。龍樹聞き已て、悔謝し出家す。尊者即に度脱を与ふ、及び五百の龍衆俱に具戒を受く。然しより尊者にしたがひて四年をふるに、十三祖龍王の請にをもむきしに、如意珠をたてまつる。(機縁)
注記ーこの機縁は『五灯会元』の迦毘摩羅章からの引用と思われる。この地方は那迦族(龍族)と呼ばれる原住民が多く住む場所であり、その具体的場所は明確でないが、一説には現在のマハラシュトラ州の都市ナグプール周辺とされ、現にナグプール郊外のラムテク地区に「龍樹菩薩大寺 Bodhisattva Nāgārjun Mahā vihar」が存在する。蟒は通常大蛇を意味するがここではニシキヘビと訳し、龍はコブラと訳しているが、龍はそれ以外にも那伽族(龍族)を指しているとも考えられる。大蟒―ニシキヘビ・ボアなどの大蛇。龍―中国では古来から想像上の神獣。梵語のナーガ Nāgaはインド神話に起源を持つ、蛇の精霊、蛇神。仏陀が悟りを開く時に守護したとされ、仏教では龍王とされ、仏法の守護神となっている。また仏陀の異称であり、多くはコブラを意味する。元来コブラを神格化した蛇神であったはずだが、コブラの存在しない中国においては漢訳経典において「龍」と翻訳され、中国に元来からあった龍信仰と習合し、日本にもその形式で伝わっている。
龍樹尊者が質問した。「この球はこの世ではめったにない素晴らしい宝です。」・・・・乃至龍樹はこれを聞いて深く納得した。そこで第十四祖となった。
龍樹は元々仏教以外の学問を究めていたので、その神通力によって何回も竜宮城に赴き、たくさんの仏教経典を学習していた。しかも龍樹はその経典の題名を見ただけで、すぐにその経の精髄を読み取り、五百人の龍族の徒弟を教化していた。世に言う難陀龍王・跋難陀龍王などはみな仏に近い覚りを開いた菩薩であり、それぞれ皆仏祖の委嘱を受けて、身の回りに重要な経典を備えていた。だから私たちの世界が仏の教法が無くなろうとしても、その竜宮には必ず備えられている。龍樹はこのように素晴らしい神通力を具えており、いつも大龍王と問答するために往来をしていたが、しかしそれは真実の仏道修行ではなく、外道の分際であった。しかし一たび迦毘摩羅尊者の弟子となり、仏の法門を継承して法門の継承者となった。そこで世間の人は「龍樹はただ祖師門下第十四祖であるばかりか、「八宗の祖」といわれるように、真言宗も天台宗もみな龍樹の門流であり、陰陽道も養蚕の技術もすべて龍樹から出ている」と思っている。確かに以前多くの学芸を究めていたが、第十四祖となってからは、それらの総てを捨ててしまわれた。龍樹尊者の教えを仰ぐ各種の弟子たちは、龍樹こそ自分の祖師と敬い、自分も龍樹の末流と称しているが、それは物の道理をわきまえず、宝石と川石とを混同している。悪魔の徒党であり、人間の心がない。龍樹の仏法はただ迦那提婆尊者のみが正しく継承しており、それ以外はすべて捨てられた流儀なのだ。この一段の物語から理解できる。五百人の龍族を教化しても、そこに迦毘摩羅尊者がやってくれば、自ら出迎えて礼拝し、この人はどんな人なのかを確認しようとした。その時迦毘摩羅尊者はあえて自分の素性を明かさなかった。そこで龍樹は内心に考えた。「この人は真実の法門を教えてくれる聖人なのだろうか」と。その時迦毘摩羅尊者は「君はただ出家修行だけを考えればそれでよい。私が優れた指導者か否かを考えるべきでない」と告げたので、龍樹は自らの非を愧じて遂に第十三祖迦毘摩羅尊者の法の継承者となった。
この物語で私たちははっきりさせねばならない。「この宝石は人の世の最高品ですが、この宝石自体に価値がありますか、それとも別な意味での価値がありますか」との質問となった。だが龍樹はその解答は宝石自体の価値でもなければ、それ以外の価値でもないことを知っていた。なぜならば姿があるものも、姿がないものも、それらはすべて「人間の凡夫的思いがそれを形作っているだけなのだ」と知っていたからだ。それ故に迦毘摩羅尊者は教えを開いたというこのお話を・・・・。
それがたとえ人の世の宝石だとしても、物の道理を言えば、宝石自体の価値でも、それを超えた価値でもない。それはただの宝石なのだ。まして古来珠については「力士の額にかかる珠」、「輪王の髻に包みし珠」、「龍王の珠」、「醉人衣裏の珠」などが言われているが、それは個人の感想ではなく、主観でも客観でもない。しかしここでいう球はいずれも常識世界の問題であり、仏道が問題とする珠ではない。まして仏法では珠が珠でないことを説いているので、それを理解できないでいる。だから精細に観察しなければならない。玄沙和尚は「すべてが珠なのだから、それを珠と決める個人は存在しない」と言い、また「全世界が、一つの輝いた珠だ」とも言っている。人間や天人の考えで判断してはならない。いや退いてそれが人間世界の珠だとしても、自分と関係ないものではなく、それを珠と認めている自身が珠として存在させている。だから天上の帝釈天はこれを如意宝珠とも摩尼宝珠とも呼んで大切にしている。病んだ時にこの球に触れれば病が癒え、心配事のある時もこの球を大切にすれば自然と乗り越えられる。神通力や環境の転換もこの球の力が働いてくる。昔の転輪聖王が持つ七つの宝にも摩尼宝珠があり、すべての宝物はみなこの球から始まり、これを愛用することは限りがない。このように人間と天上では果報によって優劣があり、差異が存する。人間界の如意珠は米粒のことであり、これを宝珠と呼ぶ。天上界の宝珠に擬えて名付けられたが、ここではかけがえのない宝珠なのだ。また仏の舎利は仏法が滅びるとき如意珠となり、雨嵐となり、米粒を育成して世の生き物を助けてくれる。それは仏の姿となり、米粒となり、あらゆる物事として現れ、一粒のものと現れることがあっても、自分自身の心が作ったものであり、五尺の体ともなり、三つの頭を持った神像ともなり、種々な動物の形となり、あらゆる物事が多種広汎なものとなるが、大切なことは先ほどの心の珠をはっきりさせなければならない。昔の修行者のように静けさだけを希望し、山林に隠遁してはならない。昔もこのような誤りがあり、今でさえ同じように道を得ない誤りがある。それに比べ今ここに何人もの仲間とともに肩を交えて修行問答するのは決して静かで穏やかではない。かといって一人で山林に隠遁して静かに坐禅修行をしようと言って、そのような行いをすれば、たいてい誤った道に進み、独りよがりとなる。それはなぜかというと物の道理をわきまえず、ただ自分さえよければよいという自己主義となるからだ。もう一つ指摘しよう。大梅法常禅師は松林の中で、頭に鉄塔を載せて坐禅し、潙山霊祐禅師も深い山の雲や霧のせまるところで虎や狼とともに修行したのだから、自分たちもそのように修行すべきだと主張する者もある。これこそ笑いものだ。昔の禅者は本物の修行により、正しい法の継承者から法灯を受け継ぎ、しばらくの間、その後継者を待つ間、自身の修行を堅固なものとするために、あのような修行をしたのだ。そもそも大梅は馬祖道一禅師の証明を受け、潙山は百丈懐海禅師から法灯を受け継いだ後のことだった。現在のわれわれが倉卒に考えてはならない。隠山清聳禅師や羅山道閑禅師など古の禪者も、ともに道を得て法を伝える前に一人で山籠もりをしたことはない。みな徳行をその時代に響かせ、名前を後世に記録されるよく法眼を備えた大聖であり、道を確かにした真の道人なのだ。それなのに、今の我らは良い指導者に巡り合おうとせず、修行すべき道場をも訪ねようとしないで、山奥に入って山猿と同じようにしようとする。それは無道心の甚だしきというべきだ。もし道の眼が曇り、自分一人の覚りを得ようとする者は、声聞縁覚という、芽の出ない種のようなものだ。芽の出ない種とは焼けてしまった種で、自ら仏心を閉ざしているのだ。しかしながら君たちここの門下生は修行道場で修行工夫し、良き指導者の導きに会い、長く経験を積み、最も大切な自己の生き方を確立せしめて、更に根を深く張り巡らし、帯をしっかりと締めなおさなければならない。これは永平寺道元禅師の委嘱であり、ここの修行者は当然これを大切にしなくてはならない。これは高祖様が修行者の誤った方向を改めさせるための教えなのだ。それだけではない。先師孤雲懐弉禅師は (瑩祖初めに孤雲祖に隨侍したまふ。故に先師と曰ふ。末にも又これ在り);。
「我が弟子は独住すべからず。たとひ得道せりとも叢林に修練すべし。況やまた参学の輩は一向独住すべからず。是の制に背せん者は吾が門葉にあらず。」と示された。
また円悟克勤禅師は「むかしの禪者は得法の後、山奥の茅で覆った小屋や、石窟に赴き、足の折れた五徳で炊飯して過ごすこと十年、二十年の間、大いに人里を忘れ、俗塵を離れたが、今となってはそれを望むことが無くなった。」と述べ、黄龍恵南禅師は「自分だけが独り山林の中で老いさらばえるより、修行者を叢林に迎えることが大切だ。」とも語っている。このように近代の偉大な仏道指導者はみな独住を好むことはなかった。まして人の機根はむかしの人よりかなりの部分で劣っている。だから叢林で仲間とともに修行に努めるべきだ。昔の禪者がそうなのだとしたら、今の我らがいたずらに静けさを好んでいたら、新参の修行者が来て、法門を尋ねても、回答すべきを回答せず、あまつさえ腹を立てて叱りつける。それこそその人が身も心も整っていないと知れる。指導者を離れ、一人静かに安穏を守るのは、たとい龍樹のように広大な説法をしても、それは業突く張りの人でしかない。君たちは幸いにも前世で善根を積み重ねているからこそ、ここに来て、正しい仏の法門を聞く事が叶ったのだ。大切なのは権勢の人に近づかず、また独住閑居を願うことなく、ただ日々の修行生活に専念し、法に生かされる我が身は何かをはっきりさせることだ。これこそ仏陀世尊の本当の修行道なのだ。今日先ほどからの物語を締めくくるのに出来の悪い詩がある。聞いてくれるかな。
師問て曰く、此の珠は世中の至宝なり。乃至師聞て深悟す。終に第十四祖に列す。
夫れ龍樹は異道を学し神通を具す。常に龍宮に行き、七佛の経書を見る。その題目を見てすなはち経の心をしり、よのねつに五百の龍を化す。いはゆる難陀龍王・跋難陀龍王等は皆これ等覚の菩薩なり。悉く前佛の付囑をうけ、諸経を安置したてまつる。今大師釋尊の経教、人天すでに化緣つきん時も、悉く龍宮にをさまるべし。是の如き大威神ありて、尋常大龍王と問答往来すといへども、これ真実の道人にあらず。只だ是れ外道を学するのみなり。一度十三祖に帰せしよりこのかた、まさに是れ大明眼なり。然るを人人皆おもはく。龍樹は只だ是れ祖門の十四祖なるのみにあらす、またこれ諸家の祖師たる故に、真言も是をもて本祖とす。天台も是をもて根本とす。陰陽蠶養等も是をもて根本とす、これみなむかし諸芸を習しかども、祖位に列してのちは捨られし。諸芸弟子われも龍樹は即ち本祖なりといへり。是すなはち龍樹なりとおもはん。正邪を混乱して、玉石を弁ぜざる、魔党畜類なり。ただ龍樹の佛法、迦那提婆のみすなはち正伝なり。余は皆すてられし諸宗なりと。今の因をもてしるべし。五百の龍衆を接化すといへども。猶お迦毘摩羅尊者至るとき、出てむかひて礼拝し、こゝろみんとす。尊者しばらく隠密して正宗をあらはさず。龍樹默念して曰く、是れ真乗をつげる大聖なりやと、心中にはかりみんとす。祖曰く。但だ出家を弁ぜよ、何の吾の不聖を慮かるや、といひしかば、龍樹慚愧して、十三祖につぎ来る。今の因緣をもて明むべし。曰く此の珠は世中の至宝なり、是の珠有相なりや、無相なりや。実に龍樹さきよりしれり。是れ有相なりとやせん、無相なりとやせん。頗る有無の所見を動執するなり。これによりて祖示して云云。実にたとひ世間の珠なりといへども。真実を論せん時、これ有相無相にあらず、只これ珠なり。いはんや力士の額にかかる珠、輪王の髻に包みし珠。龍王の珠、醉人衣裏の珠。悉く他の所見にわたらず。有相無相とも弁じがたし。然れども適来の珠は、悉く世間の珠也。全く是れ道中の至宝にあらず。何況や此の珠又珠にあらざることをしることあたはず。実に精細にすべし。玄沙曰く、全体是れ珠、誰をして知らしめん。又曰。尽十方世界、是一顆の明珠と。実に是れ人天の所見をもて弁ずべきにあらず。然れどもたとひ世間の珠なるも、全く外より来るにあらず。悉く人人の自心より発現し来る、故に天帝釈は是を如意珠宝とも、摩尼珠宝とも受用し来る。病ある時も此の珠をおけば病すなはちいゆ。憂ある時も此の珠を戴だけば憂おのづから除く。神通変現を現することもこの珠による。輪王七宝中に摩尼宝珠あり。一切の珍宝悉くこれより出生す、受用するに無量なり。かくのごとく人天の果報したがひて勝劣あり、差別あり。人間の如意珠とは米粒をもなづけたり。是れを珠宝とす。是れ天上の珠に比するに造作建立とす。然も是を呼て珠とす。又如来の舍利佛法滅する時如意宝珠となり、一切をふらし、米粒ともなりて衆生をたすくべし。たとひ佛身と現し、米粒と現じ、萬法とあらはれ、一顆と顕はるるとも、自心あらはれて五尺の身となり、三頭の形となり、被毛戴角の形となり、森羅萬像品品となる。然も即ちすべからく彼の心珠を弁ずべし。昔の比丘の如く寂静をねがひ、山林に隠居することなかれ。実に是れ前来も是の如く未得道なるあやまりあり。近来も此の如く未得道なる錯りあり。猶諸人と肩をまじへ参来参去すること、閑静ならざる故に。独り山林に居して、しづかに坐禪行道せんと、かくのごとくいひて、ををく山谷に隠居し、みだりに修錬する類、ををくはもて邪路に趣き来る。ゆへいかんとなれば。其の真実をしらず、徒に自己を先とするゆへなり。
又曰く、大梅常禪師も鉄塔をいただき、松煙の中に坐す。潙山大円禪師も虎狼をともとして、雲霧の底に修す、我等もかくの如く修習すべしと。実に笑ひぬべし。古人悉く得道して、正師に印を受け、しばらく道業を純熟せしめん為に、機緣をまつ間、如是修せしなりと知るべし。大梅は馬の正印を受け、潙山は百丈の伝付をゑし後なり。愚見のおよぶところにあらす。隠山羅山等の古人、いづれも未得道の先に独住せしことなし。徳行を一時にふるひ、名を末代に留る、明眼の大聖得道の真人なり。徒に参ずべきを参ぜず、至るべきに至らず、山谷に居して獼猴の如くならん、もつともこれ無道心の甚しきなり。若し道眼清明ならず、自調修錬する者は声聞縁覚となり、虚く敗種の者たらん。いはゆる敗種といふは、やけたるたねなり、佛種を断ず。然るに諸人者子細に叢林に修錬し、長時に知識に参尋して、大事悉く明め。自己まさに明弁しをはり、其後しはらく根を深くし、帯をかたくせんことは、曩祖の付囑なりといふとも、殊に此の一門の中、永平開山独住を誡めらる。是れ人を邪路に趣むかせじとなり。殊に先師「瑩祖初て孤雲祖に隨侍す。故に先師と曰ふ。末又在之。」二代の示に曰く、我が弟子は独住すべからず、たとひ得道せりとも叢林に修錬すべし。況やまた参学の輩は一向独住すべからず。是の制に背せん者は吾が門葉にあらずと。又円悟禪師曰く、古人得旨の後、深山茆茨石室に向い。折脚鐺兒に飯を煮て喫す、十年二十年大いに人世を忘れ、永く塵寰を謝すれども、今時敢て望まずと。又黄龍南曰く、自ら道を守り、山林に在て老かがまらんより、何ぞ衆を叢林に引入するにはしかん。近代諸大宗匠みな独住を好まず。況や人の根器ことごとく昔の人よりも劣なり。ただ叢林にありて修錬弁道すべし。古人も此の如し。猶を用心疎なるによりて、猥りに寂静を好みしかば、新学の比丘来て請益せしに、答ふべきを答へず。瞋恚を発しき。実にしりぬ、其の身心未調なることを。知識に離れ、閑居独住せんこと。たとひ龍樹の如く説法すといへども。唯だ是れ業報の類なるべし。諸人厚植善根なるによりて、正しく如来の正法を聞きえたり。いはゆる不親近国王大臣と、独住閑居を好楽せず。ただ道業を精進し、專ら法源を透脱すべし。是れまさに如来の真口訣なり。今日適来の因緣を挙揚するにすなはち卑語あり。聞かんと要すや。(提唱現代語訳及び提唱)
一つの光が暗く広い場所を照らしている。
それは、確実に仏の生命となっている。
孤光霊廓として常に昧とする無し 如意摩尼分照し来る
孤光霊廓常無昧 如意摩尼分照来(偈頌及び現代語訳)
注記―八大竜王は天龍八部衆に所属する龍族の八王。法華経(序品)に登場し、仏法を守護する。
霊鷲山にて十六羅漢を始め、諸天、諸菩薩と共に、水中の主である八大龍王も幾千万億の眷属の龍達とともに釈尊の教えに耳を傾けた。古代インドではナーガ Nāga という半身半蛇の形であったが、中国や日本を経て今の竜の形になった。難陀龍王Ānanda、訳して:歓喜。難陀と跋難陀は兄弟竜王で娑伽羅竜王と戦ったことがあった。跋難陀(Upananda) 訳して歓喜。難陀の弟。難陀龍王と共にマガダ国を保護して飢饉なからしめ、また仏陀降生の時、雨を降らして灌ぎ、説法の会座に必ず参じ、仏陀入滅の後は永く仏法を守護した。娑伽羅 -Sāgara) 訳して:大海。龍宮の王。和修吉 - Vāsuki) 「婆素鶏」とも漢語に音訳された。梵語 Vāsukiの意味は、「宝Khajānā)」とほとんど同じであり、「宝有」、「宝称」とも別称された。陽の極まりである「九」、数が極めて大きく強力であるという意で「九」を冠し九頭とされ、日本では「九頭龍王、「九頭龍大神」等と呼ばれる。徳叉迦-Takṣaka)。 訳して:多舌、視毒。この龍が怒って凝視すると、その人は息絶えるとされる。阿那婆達多 -Anavatapta訳して:清涼、無熱悩。阿耨達龍王ともいう。ヒマラヤの北にあるという神話上の池、阿耨達池(無熱悩池)に住し、四方に大河を出して人間の住む大陸閻浮提を潤すと謳われた。龍王は菩薩の化身として尊崇せられた。摩那斯-Manasvin)。訳して:大身、大力。阿修羅が海水をもって喜見城を侵したとき、身を踊らせて海水を押し戻したという。優鉢羅Utpalaka。訳して:青蓮華<(Utpala)、青蓮華龍王。青蓮華を生ずる池に住むという。「青蓮華」は、漢訳仏典で「優鉢華」、「優鉢羅華」などと音写される。中国で「青蓮宇(qinglianyu)」は仏教寺院の別称。
力士眉間金剛珠之譬―力 士 の額にあ った 金剛珠が互 い に競 っているうちに頭部をぶつけあって怪我をしてし まう。額を怪我 した力士は医 師の もとに行き治療を受けるが治 療の最 中に医 師か ら金剛珠 の所在を問われ力士が分からない、そこで医師 に 「お前 の金 剛 珠は[怪 我 した傷の 中にめ り込んで肉と血と膿 の中で輝 き続け ている」 と 知らされる。如来蔵は難見ではあるが、煩悩を滅したとき金剛珠である如来蔵が出現するという譬 え話。(大般涅槃經卷第七) 輪王の髻に包みし珠―「転輪聖王が諸国を降伏しようとしたとき、戦に功有る者を見て、賞賜するのに田宅聚落城邑を与へ、或は衣服厳身の具を与へ、或は種種の珍宝金銀琉璃車磲馬腦珊瑚虎珀象馬車乗奴婢人民を与えても、唯だ髻中の明珠のみは以てこれを与えないこと。人には皆王の頂上に此の一珠=仏性が有ることの譬え。 (法華経卷第五安樂行品第十四) 龍王の珠―荘子「列御冠篇」第三二 貧家の子が淵にもぐって千金の価の珠を取って来る 。父 は「千金の珠は深い淵の底、黒龍の領の下にあるものだ。たまたま黒龍が眠っている時だったので、珠を取れたのだ。黒龍が目覚めれば、お前は喰われてしまっただろう」と言い、石で珠を砕くよう命じた故事。酔人衣裡之珠―妙華経卷第四五百弟子受記品第八の語。「ある人が親友の家へ行って酒に酔って眠ってしまった。親友は所用があり、無価の宝珠をその人の衣の下に縫いつけて出てゆき、その友はそれを知らずに他国に流浪して貧しく暮らしていた。その後再会した親友から、無価の宝珠を衣の下に縫いつけていたことを知らされる。すなわち、二乗人が過去世に大通智勝仏のもとで大乗の縁を結んだが、無明のために悟ることができずにいたが 、『法華経』によっ て、如来の方便開示を受け、遂に一仏乗に入ることができた譬え。玄沙師備ー835~908、唐末五代の人。福州(福建省)の謝家に三男として生まれ、三〇歳まで漁師をしていたが、突然出家を思い立ち、その後福建地方に戻っていた兄弟子に当たる雪峰義存と意気投合して、共に雪峰山で寺院を開創した。のちに玄沙院で布教活動を続け、雪峯の禅風を発展させて「十方世界は一顆の明珠」という独自の思想を開発し、やがてそれは羅漢桂琛、法眼文益と受け継がれ、五家七宗の一つ法眼宗へと発展した。圜悟克勤―1063~1135年 宋代の禅僧。諡は真覚大師。彭州崇寧県の出身。南宋の高宗から圜悟、北宋の徽宗から仏果の号を賜ったので、圜悟克勤・仏果克勤といい、圜悟禅師、仏果禅師、真覚禅師と称される。幼くして出家し、五祖法演に法を嗣いだ。雪竇重顕の『雪竇頌古』を提唱し、垂示・著語・評唱したものが『碧巌録』、門下に大慧宗杲、虎丘紹隆がある。
古人得旨後、向深山茆茨石室。折脚鐺兒煮飯喫。ー円悟禅師の詩。折脚鐺兒は足の折れた五徳。深山の草ぶき小屋や石窟で、折れた五徳で飯を炊く。山奥での一人修行の意。塵寰―濁った世界(圓悟佛果禪師語錄卷第十四) 如意宝珠ー(cintāma の訳語) 仏語。一切の願いが自分の意の如くかなうという不思議な宝のたまの意で、民衆の願かけに対し、それを成就させてくれる仏の徳の象徴。如意宝。如意珠。如意の珠。曇鸞は、その著『浄土論註』に摩尼宝珠の徳を次のように解説する。諸仏が涅槃に入るとき、衆生を救うために仏の砕身舎利〔分骨〕を留めて衆生に与えた。衆生の福が尽きると、舎利は摩尼如意宝珠に変じた。この珠は、衆生が衣服や飲食、灯明や楽器類を欲すれば、たちまち願いのごとく種々のものを雨らせ、衆生の願いを満たす。彼の安楽仏土〔極楽浄土〕のもこれと同じ徳があると述べる。浄摩尼珠を濁水の中に置けば水は清浄となるように、もし人が無量の罪濁にあったとしても、無上清浄の宝珠に譬えられる阿弥陀如来の名号を聞いて、これを濁心に投げ入れれば、罪滅して心は清まり往生を得るという。舎利―梵語śarīraの音写で,本来は「身体」の意。ときに死体や遺骨を意味するが、一般には釈尊の遺骨をいい,それを安置した塔を舎利塔などと称する。また、形が似ていることから米つぶ、米飯を舎利という。仏舎利が米粒に似ていることによっており、近世から例が見え始める。ただし、仏舎利と米粒とを結び付けるのは中国唐代に既に見られ、日本でも空海撰「秘蔵記」に「天竺、米粒を呼んで、舎利と為す。仏舎利亦、米粒に似たり。一是の故に舎利と曰ふ。」とある。これらの記述自体は、梵語の「米śāli」と「身体śarīra」との混同に基づくとされる。一向独住すべからずー独居の輩は多く鬼魅魍魎に侵さる、共行の人は天魔波旬に嬈さるること少なし。未だ仏道の通塞を明らめず、空しく至愚の独居を守る、豈に錯りに非ずや。今、常に叢林の長連牀上に在って昼夜に弁道する、魔子嬈することを得ず、鬼魅侵すことを得ず。誠に是れ善知識、又、則ち勝友なり。『永平広録』巻六上堂。
瑩山禅師の伝光録に親しむ第二 15章 迦那提婆尊者
第十五章
第十五祖。カナダイバ(迦那提婆尊者)が、龍樹菩薩に逢おうとして、その門口に着くと、龍樹菩薩は「この人は賢そうな人間だ」と感じ取り、まず侍者に、水をたたえた鉢を持たせて座の前に置かせた。するとカナダイバは一本の針をその水中に投げ入れ、菩薩に返し、親しく面会した。その時直ちに心が通じた。
第十五祖迦那提婆尊者。龍樹大士に謁するに、將に門に及ぶ。龍樹是れ智人なりと知り、先ず侍者を遣し、満鉢の水を以て、座前に置く。尊者これを覩て、即ち一針を以て投げ、而も之を進めて相見し、忻然として契会す。(本則及び現代語訳)
補注―迦那提婆―提婆菩薩の称・紀元180~270頃 Ārya-deva(聖提婆、聖天。一目眇 すがめなるを以てカナダイバ Kaṇa-devaという。第三世紀頃、南インドの人、婆羅門姓。一説にスリランカ国ともいう)玄奘三蔵の『西域記』巻十によれば、南コーサラ国の引正王が、龍樹を尊崇し、招いて城南の伽藍に居らしめた時に提婆がセイロンからきて龍樹と対論させ、龍樹の弟子となり、中観派の祖となったと述べられている。その後中インドのパータリプトラに移り、広く法を広めたが、頑凶な外道に殺害されたといわれる。著書に『百論』「広百論」などがある。伝は鳩摩羅什訳の『提婆菩薩伝』、『付法蔵因縁伝』、『宝林伝』等にある。 迦那提婆尊者は南インドの人。庶民階級の出身であり、はじめは福楽を願っていたが、別に弁論にもたけていた。
龍樹尊者は師匠から法を伝えた後、南インドに布教した。この地方人の大半は福楽を願う者であった。尊者が仏の正法を説くと聞いた民衆は、口をそろえて言った。「人の世では福楽が最も大切なのに、自己本来の生命などと言っても、それは誰にも見えない」と。龍樹が言った。「もし君が自己本来の生命に出逢おうとするならば、最初に自分という先入観を捨てるべきだ。」と。その人が質問する。「自己本来の生命は大きいものか、それとも小さなものか」と。龍樹が答えた。「自己本来の生命とは大きくもなく、小さくもない。広くもなければ狭くもない。幸福もなければ、努力の成果もない。それは死ぬこともなく、生まれることもない」と。彼らはその教えが納得できたので、当初の常識をやめて、龍樹の教えを受け入れた。そこに智慧を具えた迦那提婆がいて、龍樹に面会を求めた。これによって迦那提婆の心を定まった。龍樹尊者は直ちに迦那提婆を自分の座を半分与えて坐らせた。それは恰も霊鷲山における迦葉尊者と同じだ。龍樹尊者は説法を始めた。坐ったまま、満月の景色を現した。迦那提婆は「これは龍樹尊者が自己本来の生命を現し、私たちにこのことを教えられたのだ」。なぜならば「無色透明な坐禅の世界は恰も満月のようなもので、カラッとして何もないからだ」と民衆に語った。提婆がそのように発言すると満月の姿は消え去り、また元の座に戻り、これを詩にして表した。
体を満月の姿に変え、自己本来の生命とは何かを表した。
説法しても、決まった形がない。それは聴覚や視覚を超えた世界だから。
このような訳で師匠と弟子との区別がなく、自己本来の生命が通い合った。
師は南天竺国の人也。姓は毘舍羅。初め福業を求め、兼ねて弁論を楽ふ。龍樹尊者。得法し行化して南印度に到る。彼の国之人多く福業を信ず。尊者の妙法を説かんとするを聞いて、遞ひに相ひ謂て曰く、人に福業有るは世間の第一なり、徒らに佛性を言ふ、誰か能くこれを覩む。龍樹曰く、汝佛性を見んと欲せば慢なり。人曰く佛性は大なるか小なるか。龍樹曰く、佛性は大に非ず、小に非ず。広きに非ず、狭きに非ず。福も無く報も無し。死せず生まれず。彼、理の勝れたるを聞いて悉く初心を廻らす。その中に大智慧迦那提婆。龍樹大士に謁す。乃至忻然として契会す。即ち半座を分ちて居せしむ。恰も霊山の迦葉の如し。龍樹即ち為に説法す。座を起たずして 月輪の相を現ず。師衆会に謂て曰く、此れは是れ尊者、佛性の体相を現じて、以て我等に示す。何を以て之を知る。蓋し以みるに無相三昧は形、満月の如し。佛性の義廓然虚明なりと。言ひ訖て輪相即ち隠る。復た本座に居して、偈を説て言く、身に円月の相を現じ、以て諸佛の体を表す。法を説に其の形無し。用て声色に非ざるを弁ず。如是なる故に、師資わかちがたく。命脈即ち通ず。(機縁とその現代語訳)
先ほどの物語の内容は普通ではない。最初から仏道にかなったと述べている。龍樹尊者は何も言わず、提婆も一言も質問しない。だからこれは師匠と弟子の区別がなく、主人と客人の隔たりがない。この時提婆は自らの法門の在り方を宣布して、インド五地方全域で「提婆宗=中観派」と呼ばれるようになった。中国の祖師が「銀でできたお椀に雪を盛りつけ、明るい月の中を白鷺が飛んでいる」と表現したのと同じだ。 このような訳で初めての出逢いで、師匠は満水の水を鉢に入れて自分の前に置かせた。ここに裏もなければ表もなく、内も外もない。その鉢にはどこも欠けたところがなく、何の陰りもない。底まで透き通っており、満ち溢れていて神々しい。そこに一本の針を投げ込めば、その様子は誰にでもわかる。徹底し、徹頭している。どちらが中心で、どちらかが外れでもない。これは師匠と弟子との違いがない。同じようでありそのものでもない。混ぜてしまってもその跡がない。眉を挙げて瞬いてこれを表現したこともあり、花の色を見、竹の響きを聞いて表現したこともある。それは聞こえる世界でも、見える世界でもないので、否定のしようがない。可もなく不可もない。鉢に盛った水のように捉えようがない。一応理屈で納得し、具体的行動で示す時は、はっきりと心根を表して去り、水の流れが山を穿って、世界にみなぎり去る。針は袋を突き刺さし、芥子粒ほどの微細なものさえも、刺してくる。この水は誰にも壊されず、針の固さはダイヤモンドよりも強い。ここでいうところの針と水とは、他でもない、君たちの体であり心なのだ。飲みつくす時は一本の針であり、吐き出す時はただの真水だ。そこで師匠と弟子の生き方が一つになり、自他の区別がない。命の鼓動が一つになり、大きく輝く時には、世界のどこにも収まる場所がない。それは恰も瓢箪の弦が瓢箪に纏わりつくようなものだ。付いても離れても、それは自分自身の心なのだ。その上、君たちがその真水を理解したとしても、その中に針が潜んでいることを実感しなければならない。これを誤れば忽ちに喉に穴が開いてしまう。ともあれ決してどっちつかずの中途半端ではならない。飲むときはただ飲み、吐き出す時はただ吐き出して、実際にやってみる。真新しくて心に滞りがないと気が付いても、結局、大雨、火災、暴風もどうする事ができない、天地宇宙がどのように変化しても遮る事がない。この物語に決着をつけるためにできの悪い詩を披露しよう。諸君聞いてくれるかな。
適来の因緣これ尋常にあらず。最初に道に合し来る。龍樹も一言の説なく、提婆も一言の問なし。故に師資存じがたく。賓主いかんが分たん。是に依て殊に迦那提婆宗風を挙説して、遂に五天竺の間提婆宗といはれし也。いはゆる銀盌に雪を盛り明月に鷺を蔵すが如し。如是の故に、最初相見の時すなはち満鉢の水をもて座前におかしむ。あに表裏を存じ、内外を存せんや。已に是満鉢終に虧闕なし。亦これ湛水虚明也。通徹して純清也。弥満して霊明なり。故に一針を投じて契会す。須らく徹底徹頂すべし、正なく偏なし。ここにいたりて師資わかちがたし。類すれども斉しきことなく、混ずれとも跡なし。揚眉瞬目をもて此の事を現ぜしめ、見色聞声をもて此のことを表す、故に声色の名づくべきなし。見聞の捨つべきなし。円明無相にして清水の虚廓なるが如し。霊理に通徹し、神鋒を求むる時に似たり。処処鋒を露し来り、明明として心を通じ、もて去る。水も流れ通じて、山を穿ち。天をひたし去り、針もふくろをとをし、芥子をさしもて來る。然も水遂にものの為にやぶれず、あに跡をなすことあらんや。針も他の為にかたきこと金剛にも過たり。恁麼の針水あに是他物にあらんや。即ち是れ汝等が身心なり。呑尽の時はただこれ一針なり。吐却の時は又是清水なり。故に師資道通達して、全く是れ自他なし。故に命脈即通して、まさに廓明なる時、十方におさむべきにあらず。恰も葫蘆藤種葫蘆をまつふが如し。攀じ来て攀じ去る。ただ是れ自心なるのみなり。然も諸人清水を知り得たりとも、子細に覚触して底に針あることを明むべし。もしあやまりて服することあらば。果して咽喉をやぶりきたらん。然も是の如くと雖も、両般の会をなすことなかれ。只すべからく呑尽吐尽して、子細に思量してみよ。たとひ清白にして虚融なりと覚すとも、まさにこれ廓徹堅固なることあらん。水火風の三災もをかすことなく。成住壞空劫もうつすことなけん。故に這箇の因緣を説破せんとするに、更に卑語あり。大衆聞かんと要すや麼。
一本の針が大海原の水を汲みつくす時は、
獰猛な龍がどこにも身を隠す場所がない。
一針釣り尽す滄溟の水 獰龍到る処に藏す
一針釣尽滄溟水 獰龍到処藏身(偈頌並びに現代語訳)
語註―銀盌に雪を盛り明月に鷺を蔵すが如しー「宝鏡三昧」の語。葫蘆藤種葫蘆をまつふが如しー「瓢箪の弦が瓢箪に纏わりつく」『正法眼蔵無情説法』にあり、元、如浄禅師の語。