水鳥樹林悉皆念仏念法念僧
道融興正
本師内山興正老師は生涯を通して、筋金入りの坐禅の継承者を育成することに努力しました。京都の安泰寺に住職した期間は正にそれを実践しました。そこでは『自己』、『観音経を味わう』、『正しい坐禅のすすめ』、『進みと安らい』、『生命の実物』など幾つもの著書を残されました。また各地で提唱した『正法眼蔵』の記録がまとめられ、自身で校正した提唱録も多くあり、その著作は実に百数にも及びます。しかし、「悪書を後世に残さず」と言って、紙に書いた筆跡はほとんど書かれませんでした。もちろん筆字が不得意なのではなく、青年時代には習字に励んだこともあったようです。私をはじめ「何か書を書いてほしい」と弟子が依頼すると、なかなか首を縦に振りませんでした。ですからあまり残っていません。
今回、掲載したものは、これも昨年、私の手元に届けられた内山興正老師の遺品の中にあったものです。この言葉は一般には『阿弥陀経』に説かれる極楽浄土の様子を述べたものとされます。しかし『阿弥陀経』には「悉皆念佛念法」とあり、「水鳥樹林」は『観無量寿経』にあって、多少の差異があります。しかし、中国曹洞禅の源流である雲巌曇晟禅師と洞山良价禅師の問答の中で「無情説法」の典拠として記される部分には明らかに「水鳥樹林、悉皆念佛念法」とあります。これらは道元禅師の『正法眼蔵無情説法』の引用句として広く知られています。
(洞山)師遂に潙山を辞して径に雲巖に造り、前の因縁を挙し了り便ち問ふ、無情説法甚麼の人か聞くを得ん。巖曰く、無情聞くを得ん。師曰く、和尚聞くや否や。巖曰く、我れ若し聞かば、汝即ち我説法を聞かざるなり也。師曰く、某甲、甚麼としてか聞かざるや。巖拂子を竪起して曰く、還た聞くや麼。師曰く、聞かず。巖曰く、我が説法さえも汝尚を聞かず。豈に況んや無情説法をや。師曰く、無情説法何の典教にか該む。巖曰く、豈、見かずや弥陀経に曰へり、水鳥樹林。悉皆念佛念法と。師ここに於て省有り。
ここでの引用は瑩山禅師の『伝光録』に拠っています。